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3月, 2022の投稿を表示しています

Blogのテーマを変更

 久しぶりに、Blogのテーマを変更しました。 特に理由があるわけではないのですが、PC画面で見る分には問題ないのですが、スマートフォンなどで見る際、イマイチすっきりしないイメージだったので、時代に逆行して?あっさりした感じに変えてみました。 まぁ、Blogに労力を惜しまずさまざまな仕込みのあるところもあるようですが、そもそもモノグサなもんですから。 そもそもプログラムを作るような人間は、自分が便利になりたいから、楽になりたいから自動化してしまおうと思う方が多いと思います。私も似たような感じなので(笑) そんなわけでしばらくこのスタイルを試してみようと思います。

ラジオドラマは面白い

  聞き流すという行為の中に、ラジオを聞く(聴くではなく)ことがあるのですが、テレビの見逃し配信のように、某国営放送ではPodcastだけでなく、一定期間聴き逃し配信を利用する事ができます。いや本当に「便利になったもんだなぁ」と思いながら利用させていただいています。 子供の頃からラジオドラマは時々聴いて(聞くではなく)いましたが、放送時間が限定されていたので、どうしても聴きたいと思う場合は録音して後から聴くようにしていました。 それもタイマー録音ができる環境がない頃は、自分で録音ボタンを押して...(古い) その後タイマー録音もできるようになり、今では公式に聴き逃しをオンラインで配信しくれています。 これは本当にありがたい。 特に最近はスマートフォンで外出先でも気軽に聴く事ができますので、移動途中に重宝します。 朗読は好みではないので、もっぱら某◯◯シアターや、◯◯アドベンチャーが多いのですが、音楽系番組などもあり、これらを続けていただくためだけでも料金を惜しみなく支払う意義があると思っています。 ◯●は見ないし聞かない、それは自由ですし、そうであれば料金を支払う必要はないとは思いますが、ありがたく利用するモノであれば料金は払っても惜しくありません。 民放や各種無料放送はCMが多い、面白くないという方がいらっしゃいますが、それをその方向に持っていったのは自分達であると気がつくべきでしょうねぇ。 海外は知りませんが、日本人は金も払わないクセに文句や要求は一端に言う。 これでは何も育たないんですけどねぇ。

ドキドキキュンキュントゥンクは面白い

  Amazon Prime Videoで色んな映画やドラマを観ているのですが、以前は海外もの一択だったのですが、せっかくだから毛色の違う最近の国内ドラマも...そう思いたち、いくつか試しに観てみました。 独特の世界観があって面白い、その一言に尽きます。 酒場放浪記や孤独のグルメなどに触発されたのか、食と少女マンガの融合のような深夜ドラマがいくつかありましたが、これが面白い。 オっさんなので、基本的にどの作品も原作を読む機会はありません。(まぁ、そらそうだろ)。 このため、いきなり映像作品でその世界に突入するわけですが、俳優さんたちの演技が何気に現代(いま)風の表現とマッチして結構どハマりする作品もあったりしてます。 ドキドキキュンキュンの表現は世代的に分かるつもりですが、トゥンクという表現と用法がよくわからず、「えっ?えっ?」と思って観ているうちに、何となく受け入れて「トゥンク」してしまっている自分がいました。 仕事やプライベートでお付き合いのある方々の中にも「おねぇキャラ」の方々がいらっしゃいますので、そのあたりに嫌悪感を持つことはありませんし、その辺は好き好きではないかとも思っています。 学生時代に井手上漠(いでがみばく)ちゃんのような人に出会っていたら、かなりの確率で間違いを犯す自信はありますね(笑)。 そっち系に興味はないけれど、美という世界はジェンダーレスではないかと思っていますので、それは仕方ないと思っています。まぁ、同世代の方はそうでない方の方が多いとは思いますが。 色んなモノやコトを受け入れるから、それらが面白く感じられるのだと思っています。 偏っている方が楽に生きられるとは思いますけどねぇ。

佐伯泰英 著 独り立ち 吉原裏同心(37)

  シリーズ名が「吉原裏同心」から「 吉原裏同心抄」そして「新・ 吉原裏同心抄 」となり、再度「吉原裏同心」と戻ってきた珍しい経緯を辿るシリーズ作品です。 2014年には某国営放送の木曜劇場で12回シリーズとして放送されたそうですが、当時でもこの作品が12回で収まり切れるとは思いませんし、キャストを見てもとても面白い内容に改変できたとも思えませんので、打ち切りになったのではないかと推測されます。 私が初めて佐伯作品に出会ったのも、この吉原裏同心でした。 この作品を皮切りに、この方の作品を追い続けていますが、この方の作品は時代背景を活かしつつも創作が凄い、その一言に尽きます。 私が知る中では、この方の作風の対局にあるのが上田秀人先生ではないかと思っています。 上田先生も時代背景をしっかり掴んだ上で作品を練り上げて行かれていますが、そこに書かれているのは人の心の闇と妬みがベースになっていると感じています。 それに対し佐伯作品はこのシリーズだけでなく、全ての作品に通じて人の心の闇と共に、それを上回る清々しさが描かれていると思います。 そう言う意味で、上田作品も佐伯作品も田舎育ちの薄ボンヤリした育ちの私には非常に助けになります。これも対局的な意味で。 さて、それがどのように自信に働くのか知りたい方は、このお二人の先生方だけでなく、色んな方の作品に触れて自分の心にどう触れられてくるのか、叩きつけられるモノなのか、それとも優しく包んでくれるモノなのか体験してみるしかないと思います。 ただ、こう言った体験は小説に限ったことではなく、映像作品も同じではないかと思います。 無闇矢鱈に数多く触れていくのも一つの手ですが、自分の目で、頭で、カラダで感じて選んで養うしかないと思います。

映像も面白いものは観ますねぇ

 仕事で必要な書籍だけでなく、時間があれば小説も読みますが、ここ数年はAmazon prime Videoなどのように、DVDを借りに行かずとも、定額でおもし良い作品をたくさん観る事ができるので、便利な世の中であると共に、出歩かないという悪習慣も身についてしまっています。 まぁ、それはイイとして、世代的に欧米への憧れが強いからか、イギリスやアメリカ、それに最近は中国や韓国の映像作品にもハマっています。 映像作品を観る際、原作を知らずに観るケースの方が多いですね。 先に原作を読んで知っていると、どうしても原作に思い入れができてしまうタイプの人間なので、乾燥が批判がちになってしまいます。 このため、原作に近いストーリーであっても、自分の中で描いた架空のキャスティングと全く違うと、それだけで面白く無くなってしまう事があるので、最近は興味のある作品は、映像を先に観て、原作を後から読むようにしています。 制作される方にも、さまざまなオトナの事情があると思います。また、原作者とは違う脚本家の場合は、その方の意志もあると思います。(だったら原作を使うなと言いたくなるタイプです) とまぁ、本を読まない時は、映像作品もある程度自由に楽しめる時代になってしまい、ますますダメ人間になりそうです。

上田秀人 著 勘定侍 柳生真剣勝負(三)

 昨年(2021年)の2月に出版された逸品です。 いつも同じことを書くようですが、ちょっと言い方を変えると、この方の作品は、サラリーマン、特にホワイトカラーと呼ばれる方の心を、うまく成長させるための手引き書としても、非常に良い内容ではないかと思っています。 誤解を恐れすに書くと、手に何らかの職をつけ生きていくブルーカラー、自分で何かを生み出すわけではなく、他で生まれてきたモノやコトを動かすことによって、その利を得るホワイトカラー、昔の表現ではそう言った感じの方の職業を指すのではないかと思います。 私自身、ブルーカラーの出だと認識していますが、地方都市から東京に異動させられ、みなし管理職のような仕事に就いておりますので、水色みたいになっているんではないかと思います。 そんな中で、完全ホワイトカラーな方と、何らかの駆け引きを行わなければならない事態に陥った際、単純な思考能力しか持たない私はよく「カッチーん」とくるのですよねぇ。これは完全に相手の術中にハマっているわけです。 まぁ、あとでこう言ったモノを読みながら、いろいろ思い返しつつ、今後の自分の考えを改める良い機会になってはいるのですが、正直人のココロを読みながら駆け引きする仕事って胸糞悪いと思って生きてます。

風野真知雄 著 金魚の縁 新・大江戸定年組

 このシリーズに限らず、風野センセの作品は時代背景がはっきりしていても、いろいろボカして書かれていることがあるので、結構何でもアリなところが面白い。 と言うか、風野センセの作品は、史実に基づいた作品であってもかなり創作が入り込んで、面白さを増してるモノが多い。 虚実入り乱れているのも関わらず、そこに面白さをブレンドすることが非常にうまいんですよねぇ。 ただし、それが同じシリーズで続くと、時にマンネリに映る事があるので、要注意も気がします。

稲葉稔 著 町火消御用調べ

 2009年に出版された作品です。 面白いとは思うのですが、いわゆる稲葉色が濃い感じが気になる作品です。。 この後続刊が出ているようですが、3冊目以降は出ていないようです。 色んな方の本を読み続けていると、どの方の作品もその作者の色が見えます。 本を読むことが当たり前の方であれば、この意味がお分かりになられるのではないかと思います。 それが良い方向に出ている場合は売れるのかも知れませんが、書き手の色が向こう側(読み手)まで透けて見えてしまうことがあるのです。その助け方が良くない時、面白さが半減してしまうことがあるのですよねぇ。 好きな作家さんなので、こう言うのに当たると辛いですねぇ。 しかし、作品を書き続ける、産み出す行為は産みの苦しみを伴うものなので、大変だと思うのです。 私には何かを書き綴るような資質はありませんが、仕事ではモノやコトを生み出すことを生業としている身なので、レベルは違えど、その苦しみは分かる気がします。 で、続刊ですが、早速、Amazonで古書を見つけたのでポチりました。 地方都市、それもかなりの田舎に育ちましたので、当時レンタルレコードができた時は買うほどの金額を支払わなくとも、好きなアーティストの音楽を聴くことができることに驚愕すると共に、行く所もなく家から近すぎて用がなくても入り浸っておりました。 そんな田舎町から進学を機に少し都会の街に移り住み、そこで古書店を見つけて物珍しさから入った途端、古書の魅力にも取り憑かれてしまいました。 田舎には古書店すらないところもありますので、自分には珍しかったのと、少ない小遣いでも、欲しい本を見つけることができれば買って読むことができる。そんな世界に引き込まれないはずはありません。 しかし、最近は本を読む方が少なくなったのと、電子書籍が当たり前の時代になったため、古書店も苦しいようです。 時折古書店のショップをネットで覗くことがあるのですが、東京では安くても数百円する古書が、数円(ひと桁ですよひと桁)で出品されていることも多々あり、送料で200円や300円になるものが結構あったりします。まぁ、送料に利益を含ませているとしても、徒歩や自転車で通える範囲でない限り、必ず交通費はかかるわけですから、送料込みでもかなりお安いということになります。 私も電子書籍で良いものは、できるだけ電子書籍として購入するようにし