スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2022の投稿を表示しています

宇江佐真理 著 うめ婆行状記

  奇をてらうことなく、地に足をつけて、ありふれた日常の中から人情の機微を掬い取るようにして小説を紡いでいたと評される宇江佐真理センセの未完の作品です。 町奉行所の役人だった夫がポックリと逝き、それまでひとり思い描いていたひとり暮らしをはじめたのは良いものの、穏やかな日を送る暇もなく日々何かの騒動に巻き込まれて追い続ける主人公「うめ婆」を書き綴ったものです。 残念ながら、完結に限りなく近いところで途切れてしまっている。 闘病生活の中、連載途中であったものの書き続けることができなくなったのだろう。 いろんな作家の方の書籍を読んでいると、執筆途中でお亡くなりになられた方の作品に出逢う事がある。 好きになって読み続けていた方の作品が未完のままで出版されるのは、一行でも良いから読みたい読者としては非常に喜ばしい部分もある。 しかし終わりまで読み終えないうちに途切れてしまった最後の一文字を見た瞬間、悲しみや悔しさが覆い被さってくる。 その方の新作を永遠に読めないと言う事だけでなく、最後まで書ききれなかった作者の想い、いや私自身最後まで永遠に結末を読むことのできないということに悶々とするのだと思う。

上田秀人 著 勘定侍 柳生真剣勝負(四)

 柳生の殿様が手をつけた女性の子供は超一流の大阪商人に育った。 柳生家が大名になったは良いが、金勘定ができず借金まみれの侍世帯を立て直すべく無理やり呼び出された主人公「一夜」が活躍する物語。 この方の物語に出てくる登場人物は、どれもハラがあって怖い…読む人によっては人嫌いになりそうな気がします。 しかし都会に生まれ育ちそれが当たり前の方、または田舎から転勤で都会に出てきて他人を押し除けてまで出世したいというような人物を見ていると、今も昔も人の考えることは同じだな、そんな感じがするのは気のせいでしょうか。 その辺りを割り切って、またそのような作品なのだと分かってくると面白い作品です。 決して悪い意味ではなく、作品としてはとても面白いという意味で。

佐伯泰英 著 一人二役 吉原裏同心 38

  2022年10月、ようやく発売された吉原裏同心の最新刊です。 シリーズ開始当初は裏同心として活躍した主人公も、吉原の元締めのような立場になってしまい四苦八苦しているところは、どこかサラリーマンのシリーズ物のアレを思い起こさせてしまいます。まあ、その姿も現代のサラリーマンにはウケるのかもしれませんが、斜めに構えてしまう私は「やはりナカの人材ではダメなのか」などと思ってしまったり... 他の作品はどれも完結したり、終わりに向けて走り出しているのに、この作品だけは佐伯センセの身体が動かなくなるまで書いていくぞ?!的な感じを受けますが、もしかするとこの作品を中心に、他は短編や読切になっていくのかも... 作品自体はとても面白いと思っていますが、楽しむだけの目を持たなくなってしまった自分に若干の苛立ちを覚える今日この頃です。

宇江佐真理 著 桜花(さくら)を見た

  北海道出身・在住だった宇江佐真理先生の作品です。 すでにお亡くなりになられていますが、残された作品はどれも面白いだけでなく、どこかに故郷である北海道を散りばめて慈愛に満ち溢れる作品ばかりです。 この作品は短編集ではありますが、どれも面白いものばかりで、その多くは当時の文化や故郷の歴史を紡いだものですが、史実をベースにしているにしてもその創作力は凄いの一言に尽きます。 葛飾北斎の娘、お栄を題材にした「酔いもせず」は他にも幾人かこの方を中心に書いた作品がありますが、その心情が生々しく描かれており創作とはいうものの、惹き込まれます。 松前藩の歴史を紡いだものもあり、その中に蠣崎将監広年の視点を中心に記された物語があります。この頃の松前藩を題材にした作品は、数多くの小説家により取り上げられており、それぞれの作家による視点で記されています。私の知る非常に狭い範囲ではありますが、蠣崎将監広年という人物像に関しては皆さん松前への帰藩に関し自身の描いた絵を通じて尽力された方という点、それで尚且つ好人物であるという点が共通しているようです。 その他、この短編集の冒頭につは遠山の金さんが放蕩していた際にできた息子を描いた作品があります。 いやどれもみな人の心にある慈愛や希望、そして葛藤が巧みに表現されており、短編とは思えない重さが感じられます。 巻末は、蠣崎将監広年が生きた同じ頃の松前を別の人物の視点から記した作品、シクシビリカ。 これは同じ時代を生きた冒険家である最上徳内の目を通した物語です。描かれる人の視点によって、さまざまな角度からだけでなくその時代の事情や愛憎、希望などを描く宇江佐真理先生はやはり凄い方です。 もっと長く生きて素敵な作品を世に送り出していただきたかったですねぇ。

佐藤雅美 著 官僚川路聖謨の生涯

  幕末の数十年に生きた官僚の生き様を描いた逸品です。 作者が描いた通りの人物であれば、官僚の鏡なのでしょうが、サラリーマンとしてもそうなのかもしれません。 確かに真面目で正直な方だとは思いますが、そのことが組織に仕える者として本当に良いのかというと、若干の疑問を感じます。 上司に恵まれたのかそうでなかったのか、その点で見ると出世という面では真面目だからこそ出世されたのだと思いますが、上司には恵まれなかったのではないかと思います。 昔も今も、上司となる人間は優れているらというよりも「狡賢い」人間が多いように思えます。自分の周囲しかわかりませんが、日本の組織を見ているとそう感じざるを得ません。 しかし自分で起業される方はまた別の面を持ち合わせていらっしゃるので、これには全てが含まれるわけではないような気もします。 ただまぁ、物語としては逸品と言えると思いますし、宮仕えする身としては非常に参考になるのではないかと(笑)。 いや本当に面白かったです。

藤原緋沙子 著 隅田川御用日記 雁もどる

  隅田川御用帳シリーズの新シリーズとして出されてきたようですので、早速拝読いたしました。 白河藩士となり橘屋の主でもある塙十四郎とお登勢の間に子供が産まれ、幸せに暮らしているというところからして、安心して読み進められる物語ですねぇ。 推しの作家さんが皆高齢の域に達している方ばかりですし、中にはお亡くなりになられた方も... この物語も長く続くと良いですねぇ。 そんなことを思いつつ、これからも推しの作家さんを探す読書の旅を続けていきたいです。

佐藤雅美 著 敵討ちか主殺しか 物書同心居眠り紋蔵

  2019年7月に死去された佐藤雅美センセの、シリーズ最後の作品ではないかと思います 多分、このシリーズは続編が途中まで執筆されていたとしてもどなたか熱烈なファンが引き継いで最後まで仕上げられ、それが発刊されるような事はないと思います。あるとそれはそれで面白いのでしょうけど そう書くと、ナンだか私が某センセの遺作を馬鹿にしているように取れなくもないのですが、そんなことはありません 佐藤雅美作品は、作者がどのように調べられたのかは分かりませんが、よくこんなモンこんなところまで調べて作中に織り込めるモンだなぁ…と言うようなところまで遡って、それが今目の前で起きているかのように、それも時と場合によっては面白おかしく織り込まれていたりします しかし喜劇作品は脚色されていてもなお、その時代背景はかなり正確に書かれているので面白くもあるけれど知らず知らずのうちに勉強にもなります 某センセの方はというと、こちらもかなり下調べが行われた上で執筆されてはいるのですが、そこで表現される方法が違います 時代背景やジャンルが違うという点だけでは語れないような気がしますが、このあたりはどちらも読んだことがある方でなければ感じられないのではないかと だから読むコトは楽しいしやめられないんですよねぇ

和久田正明 著 はぐれ十三御用長 卍の証

  2009年と古い作品なので、安い古本を探していたら時間がかかりようやく読むことができました まぁ、型破りな人物とその内容は現実的にはあり得ないので、そういった意味合いでは面白いと思って追っています この方の作品はそういったちょっと実際にはあり得ない系のものが多いので、息抜きをするのにはちょうど良いと思っています どの作品もそうですが、文学作品と言われるようなものは別として、流行作品を生み出す作家の作品は熱狂するファンがいないとたちまち忘れ去られるところが怖いですね 昨日出会った浅見光彦シリーズ外伝も、内田康夫財団事務局があるからこそ出版されたのであって、そうでなければ新書としてセンセのコーナーはほとんど見なくなってしまいました 同じように優れた作品を出している他の作家の方も、亡くなられるともうそこから新しい作品は世に出ることはないので、新作がバンバン出されると書店としてもご存命の新作に棚を明け渡さずには... そうなると電子書籍ということになるのでしょうが、よほど注目されることがない限り、電子書籍の戸棚でも人の目に触れることなく埋もれていくことに 本好きとしてはいろいろやるせない...

内田康夫財団事務局 著 須美ちゃんは名探偵!?

 故 内田康夫センセの関連作品はもう出版されないとばかりと思っていましたが、財団の手によってこの世に押し出された本があったとは… この作品は昨年出版されたものですが、今年(2022年)にもう一冊出ているのも驚きです 私はファンクラブに入ったりする、いわゆる「群れる」事が好きではないため、この作品がどこまで故人に関わりがある作品かは分かりませんが、迷わず買ってしまいました 若い頃にこの方の作品に出会い、出張のお供に買っては読んでいた頃を思い出します 小説自体はジャンルを問わず子供の頃から比較的よく読むのが好きな方でしたが、横溝正史先生以外のさまざまなミステリー作品にハマったきっかけは、この方の作品だったと強く記憶しています どれも語り口が面白いうえ、空想世界と現実世界をうまく融合し心の中を映し出すストーリー展開は、頭の中の空想世界を駆け巡り楽しかったですねぇ 最近チョっと小説も映像も楽しく触れられなくなっていたココロに、あらたな楽しみが増えたようです

earaku G2の使用感

充電ポートはUSB-TypeC  earaku G2を丸1日使用してみた感想です。 まずはおさらいです。 そもそもこの商品を購入するにあたり、以下の点をポイントとして探しました。 ・マルチポイント接続(二台同時の接続)が可能 ・耳を塞がず1日中装着していても疲れにくい ・比較的価格が安い 価格の敷居値は人により違うと思いますが、プライベートで楽しむものとは違い、仕事で毎日使っているとバッテリーのヘタリや商品自体の消耗が早いのではないかと考えています。 このため、この手の商品は消耗品として捉えているので、「ちゃんと相手の音声が聞き取れる」「こちらの音声が相手にちゃんと伝わる」製品の進化は、今の状況を考えると今までよりもっと早く進むと考えています。そう考えると買い替えるスパンも短くなると思いますし、欲しい・試してみたいと思う商品への心境の変化も早くなるとおもので、あまり高額である必要はないのでは...それに自腹で仕事のツール買うとなるとはやりね。 ・バッテリーの消費について 電話とPCの両方に接続した状態で、2、3分程度の数回電話の発着信があり、午前に1時間半程度、午後も同じく1時間半程度使用して1日9時間程度使うと20%程度バッテリーを消費していました。3,000円程度の商品でこれは結構良いのではないかと思います。 ・耳元スピーカーの音声について 電話やWeb会議を行っていて、相手の声が聞き取りにくいということは全くありませんでした。音楽を聴くようなシーンは想定していませんので、これも良いのではないかと思います。 ・マイク性能について 購入後、電話やWeb会議で1日使用してみましたが、こちらの声は相手に普通に聞こえているようで、相手に「聞こえている?」「どんな感じ?」と数人に尋ねてみましたが、会話に使用するという点に関しては特に問題はないというような回答でした。 ・装着感について 昼食をとる以外、1日中(8時間程度)装着したままでしたが、OpenCommのような頭を締め付けるような感覚や、メガネと干渉して耳の付け根が痛くなるようなことは全くありませんでした。 私の頭の大きさにはあっているようで、特にズリ落ちてくるようなこともなく、メガネにも干渉することもなく、比較的快適でした。 ・操作のしやすさについて ボリュームボボタンについては、ヘッドセット本体よりも電話機やPC

earaku G2を買いました

  COVID-19の影響でようやく?強制的に在宅ワークが始まり2年半が過ぎました。 電話がかかってくることが多かったため、それに対応できるようにさまざまなヘッドセットを入手して試してきました。 プライベート用であればソコソコお高めのモノでも頑張って買いたいと思います。 しかし、何の手当も出ないため、仕事用のツールにあまり高い製品を買いたいとは思わないケチな性格な私です。 このため、試すモノは数千円から1万円強程度の物がほとんどですから、いわゆる稼いでいるYouTuberの皆さんのような良い製品は使うことはあまりありません。 それでも相手との意思疎通ができないと意味がないのと、日本以外の技術の進歩は思ったよりも早足で過ぎていきますので、知らないうちに購入総額が高額製品の数台程度にはなってしまったのではないかと...本末転倒ですね。 最近は電話用にネックスピーカーをメインに使っていましたが、PCを利用したWe会議も常態化してきたので、複数のデバイスを接続するのが面倒になってきました。 ということでまず第1の要件としてはマルチペアリングが必要になります。 earaku G2 2022版  それと最近になって、インイヤータイプのヘッドセットを使用した後、耳の穴がカブれるようになってしまい、その後1週間ほど耳の穴がガビガビになってしまうようになったため、耳を塞がない製品が第2の要件になりました。  耳を塞がない完全ワイヤレスや骨伝導タイプは持ってはいたのですが、私の声の大きさや周波数の問題からか、マイクが口の近くにないと相手に声が届きにくいらしく、マイクブームも要件に加わります。  まあ、ここまでくると普通の方だと恩田さんのところの「OpenComm」あたりが第1候補に上がってくるのですが、最初に書いた通り、何の手当も出ないのにそんな高額製品を買いたくはありません(半笑)。  そこで色々探していたらearaku G2というものがAmazonで見つかり、以前からその使用感についてどこまでがマトモなレビューかを調べるようになっていました。 この製品、通常だと4,000円弱ですが本日現在だと3,500円程度のようです。 Amazon内のコメント欄は信用できないものも多く、そもそも電子機器に疎い方のコメントも多いため、YouTubeにも何かないか探したところ、通常のWeb会議レベル

佐伯泰英 著 名乗らじ 空也10番勝負(八)

  このシリーズもいよいよ終わりに近づいてきたようです。 思えば長い長い物語でした。(いやまだ終わってないから) 父である坂崎磐音の青年時代からの物語ですから、かれこれ作中では30年くらいは経っているはずです。 私自身、子供に世代が移りつつあることを実感する日々を送っていますが、もう少し現役で生き楽しみたい。 そんなふうに思いながら本を読んだり映画を観たりするだけでなく、自身が何か世に送り出せるようになりたいと思う毎日です。 いや、名は残らずとも自身が手がけたモノがさまざまなカタチとして地球上に残っている(いつまで残るかは知りませんが)のですが、そうではなく文化的な何か爪痕を残したい。

稲葉稔 著 片想い橋 町火消し御用調べ2

 町火消し御用調べの続刊です。 軽快な作品を世に送りだしている稲葉稔先生にしては、チョっと平凡な印象を受ける作品かと思ったりもします。 まぁ、色んな作品を読んでいると何かひと言言いたくなるオヤジの悪いクセなのかも知れません。 しかし現在でも作品を世に送り出されている方なので、良いモノもあれば平凡なモノもあると思いますので、波があっても仕方ないのでは… ってどんだけ上から目線やねん…orz 

Raspberry Piのマウススクロールの方向をmacのようにナチュラルにする方法

  個人で所有しているWindows PCならともかく、勤め先の企業から貸与されているWindows PCのレジストリなどをIT管理者の許可なく変更することはお勧めしませんが、プライベートで所有しているPCであれば最終的な責任は自分に返ってくるため、セキュリティ的な面で問題を抱えない場合は自身の好みに合わせて変更することがあります。 Raspberry Piも同じで個人で所有しているモノなので、イジり倒しても問題ないと思っています。(色々波及するモノやコトには配慮しましょう) 今回は、手持ちのRaspberry Piのマウススクロールを、macと同じナチュラルに変更します。 やったところでスクロールの方向が変わるだけではありますが、戸惑いがなくなります。 が、一点だけ難点が... 職場のWindows PCはWindowsのデフォルトのままなので、仕事の時に戸惑うことに... ということで以下の作業は自己責任で実施しましょう。 まず、設定ファイルを管理者モードで編集できるような状態にします。前回の記事( Link ) 次に/usr/share/X11/xorg.conf.d というフォルダに40-libinput.confというファイルがあるので開きます。 このファイルの中から、以下の設定情報を記載した部分を探します。 Section "InputClass"         Identifier "libinput pointer catchall"         MatchIsPointer "on"         MatchDevicePath "/dev/input/event*"         Driver "libinput" EndSection よく似た記述がいくつも並んでいるので、1行目の「Identifier "libinput pointer catchall"」を目印にしてください。 上記記述の中に「Option "NaturalScrolling" "true"」と書き加えます。 Section "InputClass"         Identifier

Raspberry Piで設定ファイル(config関連)を直接変更する方法

  Raspberry Piをイジっていて時折設定ファイルを変更したい時がありますが、基本的にroot権限を持った(WindowsでいうところのAdministrator=管理者)アカウントでなければ変更してもファイルを保存することができません。 そんな時はあまりお勧めはしませんが、以下のコマンドで... $ xhost + $ sudo pcmanfm 上記コマンドを打った後、設定変更をしたいファイルを開いて書き込み、保存することで変更できます。

今野敏 著 隠蔽捜査8 清明(文庫版)

  既に一度ハード版を読んではいたのですが、推しの今野敏作品は文庫版も入手して再読しないと。 舞台は神奈川県警に移り、主人公自身も知らず知らずのうちに変わってきているのです。 その歳でなおかつエリート街道を踏み外しながらも再度知らず知らずのうちに周りに認められて這い上がっているところが深いですねぇ。 私自身の生活にも活かせると良いのですが、なかなか上手いこと行かないのが人生ですね... 諦めず頑張って生きていかねば。

今野敏 著 警視庁強行犯係・樋口顕 6 焦眉

 私の知る範囲ではあるけれど、本日現在で御存命の作家で刑事物、その登場人物たちの人間の「人としての心の内側」を表現したドラマを書かせたら日本でトップクラスなのではないかと思うくらいの推しです。 その中でも現在も続く作品のうち、隠蔽捜査シリーズとこの警視庁強行犯係・樋口顕シリーズは、登場人物の地位も性格も対局に近い条件で設定なされているにもかかわらず、人として尊敬すべき点は共通しているのが特徴ですかねぇ。 これは作家自身が心の奥底に持つ信念と言うかポリシーと言うかに起因しているのではないかと思います。 まぁ、初期?の作品の中には若干バラエティっぽい内容のものもあるので、単なる堅物ではないコトは確かだと思います。

浅見和史 著 奈落の偶像 警視庁殺人分析班

 浅見和史、推しの現代推理作家の一人です。 2006年「ヴェサリウスの柩」で第16回鮎川哲也賞を受賞しデビューされた後、ドラマ化され人気を博したのが本シリーズだとのことだが、ドラマは観たことがない。 申し訳ないが、原作が面白いと映像作品は落胆することが多いばかりか憎悪さえ抱くレベルの駄作に出会うことがあるのでよほど何かのきっかけでもないと観ることはないです。 同じく推しの今野敏センセ原作も数多くドラマ化されていますが、配役が皆同じであるばかりか、どれも同じような演技のため観る気が失せます。 いや俳優さんに悪意はありません。どちらかというと好きな方の部類なのですが、こればかりは... 他にも大物俳優と言われる方であっても、どの作品に出ていてもその方にしか見えないというかどれも同じやんって方も... 役になり切るのではなく、役を自分の合わせるのは嫌いなタチなので。 このシリーズは、初めて手に取って読み始めた頃からどれも、ずっと気の抜けない作品ばかりです。 この作品も最後まで気を張ったまま一気に読み進めてしまいました。 だからと言ってヒトには勧めることはないでしょうね。 モノやコトの好みはヒトそれぞれですから。

和久田正明 著 布引左内影御用 三 昼行灯 阿蘭陀女

  この方の作品は静かに進んでいくこともあれば派手に動くこともあるのですが、総じてその派手さも派手派手しさがあるわけではなく静か目な派手といったところでしょうか。 どちらかというと見た目は穏やかなのに秘めた心のうちには燃えるような何かがあるといったようなものかと思います。 この物語も表向きは昼行灯のように役所勤めに生きる同心が、裏では極悪非道な者たちを成敗するというような簡単なイメージになてしまいがちな内容を、笑あり涙ありで書き綴ったものです。 この方の作品は総じて好きな方なのですが、読む際に没頭するというよりもサクっと読んでスッキリといったタイプの作品が多いように思います。 ライトノベルのようなイメージでしょうか。 にもかかわらず何かが残るというのは面白いですね。

佐伯泰英 著 異変ありや 空也十番勝負(六)

  この方の船旅付きは筋金入りだと思える一作です。 といっても、この作品だけを読んでいると何のことやらと思われると思います。 佐伯作品には、江戸時代と言われるその頃に国を跨いだ船旅を題材にしたり作品の中に織り込んだモノが数多くあるのです。 現代社会では飛行機どころかWeb、そしてVRなどの世界で自分がその場に行かずとも世界中を視覚的・聴覚的な面で体験することができます。 しかし電話どころか電気すらなかったこの頃、日本以外の世界を知るには船旅しかなかったのですから、憧れを抱くのは当たり前かと思っていると現代社会でもそうでもなさそう。 というのも、自分の目の前しか見ていないヒトが多いからなのではないかと思っています。 今の自分の生活とその目の前に置かれている状況で手いっぱいなだけでなく、そもそも育った環境もそれでヨシとしてきたので他の世界を知る由もない。 想像力や創造力は自然に生まれてくる部分もあれば、ある程度素地がないと何も浮かばないと思うと、現在の日本社会はそんな状況になりつつあるのではないのではと思ったりもします。 ITの世界を通じて何かを知ることができても、それが現実のものなのかそうでないのかの判別もつかず、ただ生きている日本人に先はない気がするのですけどねぇ。

佐伯泰英 著 風に訊け 空也十番勝負(七)

  坂崎空也十番勝負シリーズもそろそろ終わりに近づいてきました。 ここから先、面白くなるのか否か分かりませんが、作者の年齢と作風を考えるに推測がつきそうな気もしますが常に斜め上を通り抜けるため気が抜けません。 だから推しなのかも知れませんねぇ。 この先を早く読みたくて書店に行ったらまだ発売前だったという... 今はWebで発売日も出ているのについうっかり。 ネットで買えばイイじゃんと言われそうですが、やはり近所の書店には営業を続けてほしいし作家の方々にも面白い作品をずっと生み出してほしいので、可能な限り書店で買い求めていきたいと思っています。 ただし、絶盤などで近所では手に入らなかったり近所の古書店では高額だけど遠方の古書店であれば安価で手に入る物はネットに頼らざるを得ません。 都会では手に入らず高額であっても、地方都市だと安価で購入できるという物は書籍に限らず色いあります。 私自身、田舎で育ちましたので、その辺り何度か経験しています。

澤田ふじ子 著 冬のつばめ-新選組外伝・京都街奉行所同心日記

 2001年に書籍化され、2010年に文庫化された逸品です。 時代は文久二年から慶応四年(明治元年)までの七年間と言う、多くの人の思惑と生命と引き換えに、日本が大きく揺れ動いた頃に生きた人々の物語です。 この世に新選組を題材にした作品は数多くありますが、彼等を主にした物語ではなく、彼等を客観的に見ながら大きく変わっていく時代と京の街と共に生きていく主人公の目を通したものが面白さを増しているのではないかと思います。 忘れっぽい私の頭の片隅にも、同じ時代を生きた別の方の視点から、その主人公の目を通して描いた作品があった記憶がうっすらとあります。 確かこれを書かれた方も同じ女性作家の宇江佐真理先生でしたねぇ。この作品もかなりの秀作でした。 私の偏った感想ですが、このお二人の女性作家による視点の鋭さと言うかなんというか、本当に面白いです。 誰もが知るあの池波正太郎先生や私の推しの一人でもある佐伯泰英先生もそうですが、男性作家は「これ」と思う主人公を描くと主人公を中心に浮かび上がらせて描かれた作品になるのです。 しかし前述お二人の女性が書くと、やはり主人公が描かれてはいるのだけれど、描かれている視点・視覚が全く違うのです。 これって凄い事なんじゃないかと思うんですけどねぇ…

Raspberry Piのセットアップ

  図1 Raspberry Piのデフォルトアカウントであるpiは、以前より残っているとセキュリティ面で危険ンなため新たな独自アカウントを作成したのちに削除すべきとの指摘とその方法が本家本元と多くの利用者によりBlig等に記載されていましたが、今回OS自体がアップデートされたことにより、初期設定時からpiアカウントが作成されず、いきなり任意Userのアカウントを作成するように変更されました。 しかしこれまで使ってきた、そしてその中で各設定変更を行なってきたOSとその環境をそのまま使いたかったので再構築を引き伸ばしにしていましたが、ある機能がまともに動かなくなったのを機に、クリーンインストールをすることにしました。 まぁ、Raspberry Pi Imagerを最新に更新してSDカードをフォーマット、そしてインストールし始めるところまでは依然と手順は同じです。( 以前のページリンク ) 新しいRaspberry Pi OS(32bitでも64bitでも構いません)をRaspberry Pi本体にセットし、電源を入れて少し待つと、図1の画面が表示されます。 上の2段はJapan、Japaneseを選択し、Timezoneはお住まいの地域に近い場所の「都会」を選択します。といってもtokyoやosakaくらいしか表示されませんが。 図2 次にUsernameを入力することになります。 「図2参照」 ここが依然より変更された点です。 もうすでにpiは存在しません。ここでお好きなUsernameとPasswordを2回入力して次へ進みます。 高齢の方や職場の方言をお好きな方に多いのですが、ここで全角アルファベットや可能なら日本語で入力してしまうことです。Raspberry Piであろうが何であろうが、基本的にコンピュータシステムは半角英数字が基本だと思い、半角英数字でUsernameとPasswordを登録するようにしてください。またないとは思いますが機種依存文字も避けた方が無難です。 図3 次に有線LANを接続していたり2.4GHzの無線アクセスポイント(巷の方が言うところのWi-Fiですね)が見つかればそこへ接続し、アップデートを行います。 ここを飛ばして設定後にゆっくりアップデートを行う手順を記載されている方もいらっしゃいますが、これは好みですのでどちらでも構いません

Raspberry Piでスクリーンショットを撮る

 そういえば、いつもBlogに添付するRaspberry Pi関係の画像は、VNC越しにスクショを撮ったりしてmacで加工していましたが、よく考えたらすべてをRaspberry Piで完結してしまえばもっとRaspberry Piに馴染めるようになるのではと意味不明な納得をしてしまい、ちょっと調べたらqiitaにアップしてくださっている方がいらっしゃいました。 Scrotのインストール方法 ということでここで終わりかと思いましたが、一応手順を残しておこうと... Raspberry Pi画面上部にあるコマンドアイコンのような「LXTerminal」を起動します。 画面中に sudo apt-get install scrot コマンドを入力するとScrotがインストールされます。 Scrotでスクリーンショットを撮る 前述のLXTerminalを起動し、画面内で scrot と入力する。 Raspberry Piのストレージ直下 /home/pi の真下ですね、ここにスクショ画像がpng形式で保存されます。 あとはこの画像を加工するワケですが、どうせBlogにアップするのでGoogle Photoにある便利な機能を使います。 これもちょっと調べたら、まんま同じことを解説されている方がいらっしゃいましたので、参考にさせていただきました。 こちらにつきましては、サイトのリンクを踏んでそのまま参考にしていただいた方がわかりやすいのではないかと思います。 Raspberry Piの画像編集は、Googleフォトで十分かも まぁ、もう少し色々加工したいと思った場合は、もうちょい突っ込んで調べたり別の方法を用いることになるかもしれませんが、単にトリミング程度で済むような加工であれば十分かと... ちなみに qiita もそうですが、 FabShop さんのサイトもとてもわかり易く記載されているし、特に FabShop さんはRaspberry Pi関係の情報が丁寧かつ数多く掲載されているので、非常に助かっています。

Raspberry Piのキーボード割付け

  在宅勤務なのに一切インフラ代の手当がつかないのと電気料金の高騰を理由に(単なる言い訳)、Raspberry Piを起動する頻度がダダ下がりな日々を送っていますが、時々気になって起動してはアップデートだけ実施していました。 老化現象とは関係なく、その都度色々忘れているため調べながらやるのも面白いのですが、一向に便利に使い切れてていないことに気が付き、まずはキーボード周りだけでも改善しようかと...(遅ぇよ) そもそもデフォルトのままではキーボードの半角英数字と日本語入力の切り替えさえもキーボードだけではまともに行えないので、まずはこれを割り振ってしまおうと思い立ちました。 Raspberry Piの画面右上に表示されているキーボードアイコンを右クリックし、表示されたメニューの中から「設定」を選択します。 入力メソッドの設定ウィンドウが表示されるので、画面上部にある「全体の設定」タブを選択します。 この画面で表示される最上段にある「入力メソッドのオンオフ」をマウスでクリックし、「設定したいキーの組み合わせを押してください」が小さく表示されたら、半角英数字や日本語入力に割り当てたいキーを押下するだけです。 私の場合、左側のボタンに「無変換」キーを割り当て、右側のボタンには「変換」キーを割り当てました。がしかしどちらかに割り当てられるのではなくどちらでも切り替えられるようになったので少し面倒に(笑)macだとこの辺がデフォルトなのでWindows OSでも同じように割り当てています。 まぁ、とりあえずマウスで切り替える必要がなくなったのでヨシとしましょう。

御留山 新・酔いどれ小籐次(二十五) 読了

  言わずと知れた佐伯泰英センセの作品のひとつ、酔いどれ小籐次の最終巻です。 個人的には、あと1冊か2冊程度で締めていただきたかったと思えるほど、最後は書き急いだ感というか中途半端な感じを受けざるを得ない終わり方でした。 いや、面白かったのです。 しかし、もう少し薫子姫を家族に迎えたその後、そして紙の交易がどんなカタチに落ち着いていくのか見てみたかっただけかもしれません。 多分、この作品はどこまで長く続いても、1冊読み終わった時には爽やかにそして穏やかに結び、少し物足りなさを感じるような気がします。 トシをとる、書き手・主人公、そして読み手みんなそのトシを感じさせるようになったからには、書き手は作品を閉じざるを得なくなったのかもしれません。

今更だけどM1化の便利さ

  随分と悩みましたが、昨年MacBook Pro M1 Pro 14インチが出た時に購入しました。 それまでは買う端末の新しい型のほとんどを子供達の進学などに合わせて与えてしまっていたため、手元に残ったIntel版のMacBook Proを10年近く使い続けていました。 これもそろそろ限界だということで…随分悩みましたねぇ。 買い替えたらまあ、ストレスは全くと言って良いほどなくなりました。 新しいのだから当たり前ですが、M1になったことでやはり便利にはなりました。 バッテリーを気にしなくても良いのは素晴らしいです。 職場のWindows PCはバッテリー駆動だと1時間程度しか持たない。 (ちなみにApple系だけでなくWindowsもMicrosoftも好きですけどね) これは犯罪じゃないかと思えるほどのストレスになります。 しかしどうせ仕事にしか使いませんので、そこは仕方ないと諦めています。 M1になったことで一番良かったのは、ハイパワーになっただけでなく、iOS/iPadOS端末と、ある程度共通のAppが利用できるようになり、音質の良くなったmacでradio系AppをDLして世界中のradioを聴きながらプライベートな時間を楽しめるようになったことですか… 職場のPCでは非力で、マルチタスクなどと言いつついつもCPUやメモリがアップアップしているので、起動するものをかなり絞って仕事をしています。なので小さな音量でも音楽を聴きながらなどということなどを考えると、他の何らかのデバイスを並行して使わざるを得ませんでした。 そして今まで気がつかなかったのですが、Switchbot系のAppがmacで使えるのです。 いや普通にAlexaの音声コントロールだったりiPhone使えば問題ないんですけど、歳をとったからか声が通りにくくなり、音声認識がイマイチになってきました。おまけに黙って何かをやっていると声を発することも忘れるタチなので。 もともと若い頃からモノグサで、キーボードに手を置いてコーディングしたりセッティングしたりと何かを行っていると、そこから手を動かすことが大嫌いなのです。マウスさえもメンドくさい愚か者です。 そんなわけで、突然キーボード上で全てを完結したい衝動に駆られ、ちょっと検索したらSwitchbot Appが出てきてチョロっとインストールしたら使える

稲葉稔 著 圓朝謎語り

 TVドラマの脚本などを手がけられていた、熊本出身の稲葉稔先生の力作です。 「これどっかで読んだことあったかなぁ」と思いながら買ったことすら忘れていて、読みはじめも「やっぱどっかで読んだことありそうだけど全く思い出せん」とモヤモヤしながら読み進めていました。 中盤を過ぎる頃から「一気に惹き込まれます」。物語の面白さや物語を創り上げていくのはこんなことも必要なのか、いや苦労するなぁ、そう思いつつもどんどん作品の世界に堕ちていきます。 この物語の中では、圓朝師匠が「牡丹灯籠」を創りあげていく過程が物語の「核」になっていますが、実際に起きたことや伝えられていることが織り込まれているとのことで、「なるほどなぁ」と...。 で最終的に今まで自分が記憶している「牡丹灯籠」は半分程度の内容しかないのかと知らされ、どこかでちゃんとこの「牡丹灯籠」を読んだり観たりしてみたいと思った次第です。 いやぁ、巻末の解説にも書かれていましたが、これは力作ですねぇ。

今野敏 著 膠着

 あの「隠蔽捜査」を生み出した今野敏先生の逸品です。 決して悪い意味ではなく良い意味でどこか日本の昭和臭が漂う内容です。 最近は、同先生の原作をTVドラマドラマ化したものが数多く放送されていますが、どれも皆同じ顔ぶれなので、全く観る気が起きないのですが。 違いがわからない脚本とTV局に大きな原因があるような気がしますが、そのあたりは受け手にも問題があるからそうなってしまったとも思えなくもないですねぇ。

浅田次郎 著 一路(上/下)

  TVドラマ化されたり、主人公らが歩いた道のりを辿る特番まで放映された作品です。 といっても、当時この番組を観た記憶はありませんので、機会があれば映像作品も観たいと思わせるくらい、原作は面白い作品でした。 主人公の一路は江戸育ちで、家業について何も教えてもらう間も無く親が亡くなり、いきなりその勤めにつき奮闘する...とまぁ、非常に簡単にすると面白くも何もないように思えますが、読んでみるとこれがなかなか(笑)。 たまたま古書店でみかけて、たまたま手に取ってみたら面白そうな気がしたので購入したのですが、長いこと自炊した積読フォルダの中に埋もれて忘れていました。 江戸末期の史実を織り交ぜながら、虚構の世界を作り上げられた作品というものは、作者が考えた頭の中の世界に引き込まれることになるため、面白い作品に当たると幸せな気分になれる気がしています。 機会があれば、この方の他の作品も読んでみたいと思わせるってすごいですよねぇ。

QUADERNO A5 (Gen. 2)

  COVID-19により自宅が主な勤務場所になってから丸2年が過ぎ、巷ではそろそろオフィスに戻りたい族が街に大手を振って這い出てき始めました。 いや、別にオフィスに出る事を悪く言うつもりはありませんし、ウチの職場もさまざまな経済活動も、外に出て行ったり各拠点で勤務している人達が頑張ってくれているからこそ成り立っているのですから、外に出ることが悪いことではないのは確かですが、特にオフィスに行ってまですることではない事を出て行く方がウヨウヨし始めたのは「何だかなぁ」感がですね。 そんな在宅メインの勤務を始めてから、一つ大きく変わったことがあります。 それはノートやメモを紙に書かなくなった事です。 いやこれまでもPCや電話を使って仕事をすることがメインだったため、あまり紙を利用することはなく、メモというよりも大きめの付箋に書く程度で、ノートは思考を整理する際にしか使うことはありませんでした。 しかし、そろそろオフィスに出ていくことも増え始め、今後オフィスの縮小を行う予定だということも分かり、オフィスに置いていた自分の荷物や紙媒体の物を整理する必要が出てきたのです。 これによりこれまで以上にオフィスにモノを置くスペースが少なくなり、これまで通り?在宅メインの勤務が進んでいくことが分かってきました。 そうなると通勤する際の持ち物を考え直す必要が出てきます。 以前一度、私の職場はフリーデスクと呼ばれる環境ではあったのですが、私が異動してきた部署は仕事柄固定席になっていました。その後オフィスが移転した後全ての席が固定席となり今に至る訳ですが、今後オフィスの縮小と同時にフリーデスク、可能であればいわゆるABW(Activity Based Working)を目指すようですので(私もそこに加担するのですが)、オッさんとしては率先して持ち物を減らす必要があります。 これまでオフィスに置きっ放しでも良かった物は「いつでも持ち歩ける」スタイルにしなければ仕事に支障が出ることもあると思われるため、これを機会にペン一本から見直すことにしました。 しかし実は東京に移動してくる前の拠点で私は、「ひとりフリーデスク」を実践していました。 社員の要望に応じて簡単なツールやシステムを作るような仕事をしている仕事柄、当時広い拠点の中で要望や要件を持ち込んでくる人たちの近くに居た方が、都合が良いことが多か

耳を塞がないシリーズ SONY LinkBuds WF-900L/ambie AM-TW01

   COVID-19が発端となった緊急事態宣言後、在宅でのWeb会議や電話での通話が多くなったことから、耳を塞がないヘッドセットが注目されるようになりました。 そんなことになる以前から、骨伝導の製品を持っており使ってもいましたが、一日中装着したままだと孫悟空の緊箍児(こんこじ)のように頭の締め付けを感じるとともに、少しずつズリ落ちてきて耳に当たるため、苦痛を感じるようになってきました。 最初はネックスピーカーを取り寄せ、これは首にかけておくだけで非常に楽ですが、相手の音声が全て漏れてしまうため、窓を閉めている冬場は良いのですが、隣と近いため仕事上あまり外に漏れては困るような会話をする際には向きません。しかしこれはいまでも一番よく使っていたりします。 次にネットで色々調べてみたところ、ambieからイヤーカフタイプの物が何種類か販売されていることを知り、早速有線タイプを取り寄せて使ってみました。 これは音質が特に良いという訳ではありませんでしたが、耳を塞がずに通話ができ、線を繋ぎ変えればPCでも携帯電話でも使える点が重宝しました。 しかし、有線接続に煩わしさや不便さを感じるようになり、ambie AM-BT01を取り寄せて使ってみたところ、マルチポイントモードでも使えることが分かり試してみました。 製品自体はすごく良かったのですが、マイク位置の問題で厚着をして首周りが開いていない状態だと、自分の声を拾い辛いらしく声が聞き取りにくいと通話する相手に言われてしまいました。 一日中自宅で暖房をガンガン利かせながら仕事をしていても、職場から光熱費が支給される訳ではありませんので、冬場は厚着をして足元だけを温めながら仕事をしています。夏も当然エアコンはそんなに使えません。このためこれも常時利用は諦めざるを得ませんでした。 マルチポイント(2台同時接続)機能は非常に便利で、プライベート携帯と職場の携帯の両方を接続したままにできます。プライベート携帯から何らかの音楽を流し、職場の携帯が鳴ればそのまま受けることができます。しかし通話中に無駄に接続が切り替わる動作を繰り返し、耳元でそのシグナルが耳障りになることが多く、マルチポイントの設定も解除することにしました。 ちなみに他にもマルチポイント機能を持った製品を使ってみましたが、今のところ皆同じように無駄に接続切り替えのシグナルが鳴ら

稲葉稔 著 喜連川の風 江戸出府

  熊本出身、稲葉稔先生の作品です。 熊本出身だからなのか、肥後細川藩と宇土細川藩の騒動が主体に書かれたものなのかと思っていたら、栃木県の喜連川付近に実在した小藩が題材になっています。 しかし、実際に起こった騒動や実在の名君を織り交ぜ、趣向を凝らしたこの作品、留守居役の立場や考えが書かれているシーンがあるのですが、ここを読んでいた時に思い浮かんだのは、上田秀人先生の「百万石の留守居役」でした。 いや、それと同時に今のサラリーマンも同じで、素直に何か考え、作り、築き上げることが重要なのではなく、奸計をめぐらすような人間がのしあがるのは昔も今も変わりなく、だからこそこの国は良くならないのだな、そんなふうに感じてしまいました。 いや、この作品がどうこうというのではなく、世の中の良くないことって、昔も今も変わらないのだなと...

輪渡颯介 著 古道具屋 皆塵堂 05 祟り婿/06 影憑き

本作も、5作目のあとがきで作者自身が「怪談です」とただし書をするほど面白い「怪談本」です。 作者自身、こんな作品を書いておきながら幽霊「懐疑派」だとハッキリ書いてるところに、この作品の面白さがあるのではないかと思ってます。 このシリーズも7作で終わりとのことですが、別のシリーズでは猫ではなく犬も出てくるらしいです。 今回は今までの作品とは少し毛色の変わった内容で、幽霊否定派の登場人物を中心にして物語が進んでいきます。 まぁ、いつもながらこれまで登場してきた人達が、優しく?見守りながらと言う流れでもありますが。 気になる方は是非一度手にとってみては如何でしょう。

輪渡颯介 著 蔵盗み/迎え猫 古道具屋 皆塵堂

 1作目より2作目、そんなふうに作目を重ねるごとに段々面白くなっていく一品です。 舞台は曰く付きの物を買い、そして売っている古物商「皆塵堂」とそこの主人。 1作目は皆塵堂の主人と小僧、そしてそこに預けられた別の古物商の跡取り息子である太一郎を主体に物語は進んでいきます。 各作品で登場する主要人物は、その後の作品にも何らかの形で要となて関わっていき、怪談のはずなのに何だかんだでハッピーエンドでしめられ、後味がスッキリして結構面白い作品です。 4作目「迎え猫」に記された作者の後書きを読むと「怪談で読者を怖がらせる」つもりで書き始めた作品が、途中から変わっていくとの事なので、感想としては間違ってはいなかったようです。 このシリーズは、実はたまたま書店で他の著者の作品と「間違って?」購入したのですが、読んでみると結構面白くて、知らず知らずのうちに同シリーズを買い求めるようになりました。 怪談なのに、なんか穏やかになれるのですよねぇ。

池波正太郎 著 雲霧仁左衛門 前編・後編

言わずと知れた、池波正太郎先生の逸品です。 昭和57年に文庫版の初版が出たそうです。 その前にハード版が出ている事からすると、書かれた時代はそう古くはなさそうなのですが、言葉などは新仮名遣いになっていたり、漢字もかなり平仮名に変えてあったりするため、若干の違和感を感じる事もありました。 作品と解説を読んで思うのは、「人間の魅力を描いている」これに尽きると思います。 現代社会は、差別や◯◯ハラスメントと、人は平等であり、互いに優しく寄り添い生きることが大切だと声高に叫ばれてはいるものの、実際のところその言葉に血は通っているのだろうか?と首を傾げるような事ばかりな気がします。 たしかにそれは大切だとは思いますが、言葉ばかりが先行して、実際には小狡い人間が、それらの言葉を利用して、正直に生きる人間を「騙し」「蹴落とし」「陥れ」ながら、ヌクヌクと生きる人が多いような気がするのです。

宇江佐真理 著 寂しい写楽

 写楽を題材、主人公にした作品かと思いきや、写楽が描く画を中心に、同じ時代に活躍した読本や黄表紙の書き手、そして絵師と蔦屋重三郎の心の世界を描いた逸品です。 写楽が絡むとミステリーと捉える方も多いようですし、巻末の解説の方もそう捉えていらっしゃいました。 しかし私は、彼等が生きた時代とその時代を背負って彼等が生み出した優れた作品、そしてこれらを生み出す中で抱え噴き出す心の塊と交差が深く描かれた作品ではないかと思いました。 読み始めてすぐ、この作品はどこに向かっていくのだろう。この作品は誰が書いたんだっけ? そう思い始めた頃、宇江佐さんの世界観が広がりだします。 実はこの作品を半分程度まで読んだ頃、たまたまTVで別の方の映像作品を目にしたため、この作品を早く読み終わってそちらの原作を読まなければ、そんなふうにも考えていたのです。 しかし後半から終盤に向かうにつれ、作品の中に「どっぷり」と浸かって抜け出せなくなっていた自分がいました。 まぁ、面白いと感じるところは人それぞれですので…。

今野敏 著 軌跡

  2014年初版の文庫ですが、今野敏先生の初期作品が詰まった良作です。 デビューまもない頃の作品や、時代に翻弄されながらも必死に綴られた作品は、末端の読者である私がみても、迷いながら綴った事が読んで取れるくらい拙さが伝わってきます。 今の今野作品を知る読者には、あそこに続いていく過程がすごく楽しみなのではないかと思います。だから面白いか?そう言われると「う〜ん」と唸ってしまう部分もないことはないのですが、「これを書いた方が、こんな風に大きなスケールの作品を描くようになるのか」と... 今、さまざまなSNSやネットの世界では、短所だけを垣間見て極端な意見を声高に吠える人の声がおおきくとりあげられる変な風潮がありますが、それは彼らだけが悪いのではなく、そのような風潮に育ててきた親の世代に大きな責任があるのではないかと私は思います。 製造や研究の世界も同じように、目先だけしか見えない二流、三流の◯系ダメ人間に道を閉ざされ、国内の優秀な方々がどんどん日本を離れて海外で活躍している世の中を見ていると、ここにもこの悪い影響が繋がっているのではないかと思えて仕方ありません。 もう少しモノやコトを創るヒトやその才能を、大切にできる日本に変わっていけるとこの国の未来も少しだけ明るい方向に向かうのではないかと思います。 あぁ、また駄文だ!

手ぶらでバーベキューに参加させていただきました

 大道さんにTAC( 天王寺アップルクラブ )のメンバーに加えていただき、これまでWebでの定例会に何度か参加させていただいておりましたが、このご時世になる前にお会いしたことのある数名の方以外は、リモートでお会いしたことのない方ばかりでした。 まぁ、そもそも東京の本社に異動してから、出張もほぼ皆無に近い状態のため、プライベートで人とお会いする機会は、何かのイベントに参加させていただいた際に限られておりました。 これらは全て業務時間外でのおつきあいになりますので、利害関係もほぼなく、唯一と言って良いくらい楽しみな時間と出会いでもあったわけですが、COVID-19の影響でそれも叶わなくなってしまい、オフィスに行くストレスが激減するとともに、楽しみも激減してしまい、かなりのストレスに見舞われていたようで、今回お誘いいただいた時、何も考えずに「OK」していました。 今回、このTACの関東支部の芝さんにお声がけいただき、 電器屋Walker のパーソナリティのひとりでもあるタイジ君、ひまちゃんと共に、相模原の奥地?にある「 青野原野呂ロッジ 」に行ったのですが、私以外のメンバーは、皆さんソロキャンの準備万端で現地にお泊まりになられました。 当日の青野原野呂ロッジは満員でした 元々田舎で育ち、以前は仕事柄山の中に入ることも少なくなかった私からすれば、日々数十階建てのビルに囲まれた都会の景色よりも、こちらの方が馴染みますねぇ。 話があちこち飛びますが、実は芝さん以外の「タイジ君」と「ひまちゃん」には、今回初めてリアルにお会いしました。と言っても、タイジ君はTwitterを始めた頃からのお付き合いになりますので、もう十数年になりますし、ひまちゃんはTAC定例会でお話しするようになって初めての「リアルひまちゃん」です。しかしそこはネットの世界の面白いところ、待ち合わせ場所でバラバラに集まったにも関わらず、タイジ君は少し離れた場所にいた私に気がついてくださり、手を振って合図してくれたので助かりました。 芝さんも合流して買い出し、そしてすぐに現地へ出発。 我が家のクルマは10年選手なうえに、ナビの更新もしていないので、日々変わっていく関東の道路には全くついてゆけず、自宅から待合場所、そして現地までのナビゲーションはiPhoneのGoogle Mapに頼り切りでした。iPhoneにamb

Blogのテーマを変更

 久しぶりに、Blogのテーマを変更しました。 特に理由があるわけではないのですが、PC画面で見る分には問題ないのですが、スマートフォンなどで見る際、イマイチすっきりしないイメージだったので、時代に逆行して?あっさりした感じに変えてみました。 まぁ、Blogに労力を惜しまずさまざまな仕込みのあるところもあるようですが、そもそもモノグサなもんですから。 そもそもプログラムを作るような人間は、自分が便利になりたいから、楽になりたいから自動化してしまおうと思う方が多いと思います。私も似たような感じなので(笑) そんなわけでしばらくこのスタイルを試してみようと思います。

ラジオドラマは面白い

  聞き流すという行為の中に、ラジオを聞く(聴くではなく)ことがあるのですが、テレビの見逃し配信のように、某国営放送ではPodcastだけでなく、一定期間聴き逃し配信を利用する事ができます。いや本当に「便利になったもんだなぁ」と思いながら利用させていただいています。 子供の頃からラジオドラマは時々聴いて(聞くではなく)いましたが、放送時間が限定されていたので、どうしても聴きたいと思う場合は録音して後から聴くようにしていました。 それもタイマー録音ができる環境がない頃は、自分で録音ボタンを押して...(古い) その後タイマー録音もできるようになり、今では公式に聴き逃しをオンラインで配信しくれています。 これは本当にありがたい。 特に最近はスマートフォンで外出先でも気軽に聴く事ができますので、移動途中に重宝します。 朗読は好みではないので、もっぱら某◯◯シアターや、◯◯アドベンチャーが多いのですが、音楽系番組などもあり、これらを続けていただくためだけでも料金を惜しみなく支払う意義があると思っています。 ◯●は見ないし聞かない、それは自由ですし、そうであれば料金を支払う必要はないとは思いますが、ありがたく利用するモノであれば料金は払っても惜しくありません。 民放や各種無料放送はCMが多い、面白くないという方がいらっしゃいますが、それをその方向に持っていったのは自分達であると気がつくべきでしょうねぇ。 海外は知りませんが、日本人は金も払わないクセに文句や要求は一端に言う。 これでは何も育たないんですけどねぇ。

ドキドキキュンキュントゥンクは面白い

  Amazon Prime Videoで色んな映画やドラマを観ているのですが、以前は海外もの一択だったのですが、せっかくだから毛色の違う最近の国内ドラマも...そう思いたち、いくつか試しに観てみました。 独特の世界観があって面白い、その一言に尽きます。 酒場放浪記や孤独のグルメなどに触発されたのか、食と少女マンガの融合のような深夜ドラマがいくつかありましたが、これが面白い。 オっさんなので、基本的にどの作品も原作を読む機会はありません。(まぁ、そらそうだろ)。 このため、いきなり映像作品でその世界に突入するわけですが、俳優さんたちの演技が何気に現代(いま)風の表現とマッチして結構どハマりする作品もあったりしてます。 ドキドキキュンキュンの表現は世代的に分かるつもりですが、トゥンクという表現と用法がよくわからず、「えっ?えっ?」と思って観ているうちに、何となく受け入れて「トゥンク」してしまっている自分がいました。 仕事やプライベートでお付き合いのある方々の中にも「おねぇキャラ」の方々がいらっしゃいますので、そのあたりに嫌悪感を持つことはありませんし、その辺は好き好きではないかとも思っています。 学生時代に井手上漠(いでがみばく)ちゃんのような人に出会っていたら、かなりの確率で間違いを犯す自信はありますね(笑)。 そっち系に興味はないけれど、美という世界はジェンダーレスではないかと思っていますので、それは仕方ないと思っています。まぁ、同世代の方はそうでない方の方が多いとは思いますが。 色んなモノやコトを受け入れるから、それらが面白く感じられるのだと思っています。 偏っている方が楽に生きられるとは思いますけどねぇ。

佐伯泰英 著 独り立ち 吉原裏同心(37)

  シリーズ名が「吉原裏同心」から「 吉原裏同心抄」そして「新・ 吉原裏同心抄 」となり、再度「吉原裏同心」と戻ってきた珍しい経緯を辿るシリーズ作品です。 2014年には某国営放送の木曜劇場で12回シリーズとして放送されたそうですが、当時でもこの作品が12回で収まり切れるとは思いませんし、キャストを見てもとても面白い内容に改変できたとも思えませんので、打ち切りになったのではないかと推測されます。 私が初めて佐伯作品に出会ったのも、この吉原裏同心でした。 この作品を皮切りに、この方の作品を追い続けていますが、この方の作品は時代背景を活かしつつも創作が凄い、その一言に尽きます。 私が知る中では、この方の作風の対局にあるのが上田秀人先生ではないかと思っています。 上田先生も時代背景をしっかり掴んだ上で作品を練り上げて行かれていますが、そこに書かれているのは人の心の闇と妬みがベースになっていると感じています。 それに対し佐伯作品はこのシリーズだけでなく、全ての作品に通じて人の心の闇と共に、それを上回る清々しさが描かれていると思います。 そう言う意味で、上田作品も佐伯作品も田舎育ちの薄ボンヤリした育ちの私には非常に助けになります。これも対局的な意味で。 さて、それがどのように自信に働くのか知りたい方は、このお二人の先生方だけでなく、色んな方の作品に触れて自分の心にどう触れられてくるのか、叩きつけられるモノなのか、それとも優しく包んでくれるモノなのか体験してみるしかないと思います。 ただ、こう言った体験は小説に限ったことではなく、映像作品も同じではないかと思います。 無闇矢鱈に数多く触れていくのも一つの手ですが、自分の目で、頭で、カラダで感じて選んで養うしかないと思います。

映像も面白いものは観ますねぇ

 仕事で必要な書籍だけでなく、時間があれば小説も読みますが、ここ数年はAmazon prime Videoなどのように、DVDを借りに行かずとも、定額でおもし良い作品をたくさん観る事ができるので、便利な世の中であると共に、出歩かないという悪習慣も身についてしまっています。 まぁ、それはイイとして、世代的に欧米への憧れが強いからか、イギリスやアメリカ、それに最近は中国や韓国の映像作品にもハマっています。 映像作品を観る際、原作を知らずに観るケースの方が多いですね。 先に原作を読んで知っていると、どうしても原作に思い入れができてしまうタイプの人間なので、乾燥が批判がちになってしまいます。 このため、原作に近いストーリーであっても、自分の中で描いた架空のキャスティングと全く違うと、それだけで面白く無くなってしまう事があるので、最近は興味のある作品は、映像を先に観て、原作を後から読むようにしています。 制作される方にも、さまざまなオトナの事情があると思います。また、原作者とは違う脚本家の場合は、その方の意志もあると思います。(だったら原作を使うなと言いたくなるタイプです) とまぁ、本を読まない時は、映像作品もある程度自由に楽しめる時代になってしまい、ますますダメ人間になりそうです。

上田秀人 著 勘定侍 柳生真剣勝負(三)

 昨年(2021年)の2月に出版された逸品です。 いつも同じことを書くようですが、ちょっと言い方を変えると、この方の作品は、サラリーマン、特にホワイトカラーと呼ばれる方の心を、うまく成長させるための手引き書としても、非常に良い内容ではないかと思っています。 誤解を恐れすに書くと、手に何らかの職をつけ生きていくブルーカラー、自分で何かを生み出すわけではなく、他で生まれてきたモノやコトを動かすことによって、その利を得るホワイトカラー、昔の表現ではそう言った感じの方の職業を指すのではないかと思います。 私自身、ブルーカラーの出だと認識していますが、地方都市から東京に異動させられ、みなし管理職のような仕事に就いておりますので、水色みたいになっているんではないかと思います。 そんな中で、完全ホワイトカラーな方と、何らかの駆け引きを行わなければならない事態に陥った際、単純な思考能力しか持たない私はよく「カッチーん」とくるのですよねぇ。これは完全に相手の術中にハマっているわけです。 まぁ、あとでこう言ったモノを読みながら、いろいろ思い返しつつ、今後の自分の考えを改める良い機会になってはいるのですが、正直人のココロを読みながら駆け引きする仕事って胸糞悪いと思って生きてます。

風野真知雄 著 金魚の縁 新・大江戸定年組

 このシリーズに限らず、風野センセの作品は時代背景がはっきりしていても、いろいろボカして書かれていることがあるので、結構何でもアリなところが面白い。 と言うか、風野センセの作品は、史実に基づいた作品であってもかなり創作が入り込んで、面白さを増してるモノが多い。 虚実入り乱れているのも関わらず、そこに面白さをブレンドすることが非常にうまいんですよねぇ。 ただし、それが同じシリーズで続くと、時にマンネリに映る事があるので、要注意も気がします。

稲葉稔 著 町火消御用調べ

 2009年に出版された作品です。 面白いとは思うのですが、いわゆる稲葉色が濃い感じが気になる作品です。。 この後続刊が出ているようですが、3冊目以降は出ていないようです。 色んな方の本を読み続けていると、どの方の作品もその作者の色が見えます。 本を読むことが当たり前の方であれば、この意味がお分かりになられるのではないかと思います。 それが良い方向に出ている場合は売れるのかも知れませんが、書き手の色が向こう側(読み手)まで透けて見えてしまうことがあるのです。その助け方が良くない時、面白さが半減してしまうことがあるのですよねぇ。 好きな作家さんなので、こう言うのに当たると辛いですねぇ。 しかし、作品を書き続ける、産み出す行為は産みの苦しみを伴うものなので、大変だと思うのです。 私には何かを書き綴るような資質はありませんが、仕事ではモノやコトを生み出すことを生業としている身なので、レベルは違えど、その苦しみは分かる気がします。 で、続刊ですが、早速、Amazonで古書を見つけたのでポチりました。 地方都市、それもかなりの田舎に育ちましたので、当時レンタルレコードができた時は買うほどの金額を支払わなくとも、好きなアーティストの音楽を聴くことができることに驚愕すると共に、行く所もなく家から近すぎて用がなくても入り浸っておりました。 そんな田舎町から進学を機に少し都会の街に移り住み、そこで古書店を見つけて物珍しさから入った途端、古書の魅力にも取り憑かれてしまいました。 田舎には古書店すらないところもありますので、自分には珍しかったのと、少ない小遣いでも、欲しい本を見つけることができれば買って読むことができる。そんな世界に引き込まれないはずはありません。 しかし、最近は本を読む方が少なくなったのと、電子書籍が当たり前の時代になったため、古書店も苦しいようです。 時折古書店のショップをネットで覗くことがあるのですが、東京では安くても数百円する古書が、数円(ひと桁ですよひと桁)で出品されていることも多々あり、送料で200円や300円になるものが結構あったりします。まぁ、送料に利益を含ませているとしても、徒歩や自転車で通える範囲でない限り、必ず交通費はかかるわけですから、送料込みでもかなりお安いということになります。 私も電子書籍で良いものは、できるだけ電子書籍として購入するようにし

macの外付けキーボードJIS配列の再設定

 macでApple純正以外の外付けキーボードを使用すると、かなりの確率でキー配列の認識がおかしくなる。これは特にOSのバージョンアップが行われた後に多いと思います。 JISキーボードを使用しているが、知らないうちにUS配列で認識されるようになり、記号を認識するキーが変わってしまうため、急いでいる時に気がつくとかなり苛立ちます。 気がついた時に都度見直すのですが、その方法をすぐに忘れてしまうので、自分の覚書としてここへ残しておきます(笑) ちなみ対象機器とOSはM1macPro/Monterey(12.2.1)時点のもの システム環境設定を表示する こので、[キーボード]を選択する。 キーボードの設定画面左下の[キーボードの種類を変更]を選択する。 キーボード設定アシスタントが表示されるので、ここで画面右下の[続ける]ボタンを押下する。 左右shiftキーの隣にあるキーを判別させてくるので、これに従ってキーを押下するだけで完了する。 当たり前のことだが、キーボードにドライバーソフトなどがついている場合、そちらの設定は正常にできていることを前提としています。 特にLogicool製品は、LogiOptionやLogiOption+がついていけていない場合があるので、そちらの見直しも気にしておく必要があります。 macはこれで解決できることが多いが、iPhone/iPadに外付けキーボードを付けて使用する場合は、OS側に設定項目がなく、Logicoolであればメーカー側の対応を待つしかないと思います。 JIS配列キーボードを付けっていく上で、このあたりはやはり国内メーカーの製品の方が良いのですが、キータッチが好みではないので...

風野真知雄 著 卜伝飄々

 言わずと知れた塚原卜伝を記した作品です。 何かしらの武道をかじった人でなくとも、卜伝という名前をご存知な方もいらっしゃると思いますが、私も興味はあっても風野真知雄作品ではなく、卜伝の単なる伝記ということであれば、手を取らなかったのではないかと思います。 どこまでが実際に言い伝えられていた内容なのかはわかりませんがこの方が書かれると、単なる面白い作品ではなく、その中に重みを感じさせない重みがあるというところが予想されるのです。 卜伝の言い伝えの中に、無手勝流というものがありますが、これは武道に限ったことではなく、普通に生きていく上でも役に立つ心構えを解いているのではないかと思います。 特に取引先や上司の「無知で無茶な圧」を感じながら生きているサラリーマンには... この作品を読む前から、その辺に気がついている方は見た目はサラリと生きながら、出世していくのでしょうねぇ。 でも、この作品を読むと、そうではなく飄々と自分の道を求めて生きていく姿が見え、そこに自分を重ねてみたくなります。まぁ、無理でしょうけどねぇ。 そんな逸品です。

有川 浩 著 植物図鑑

 映画化もされた、あの「図書館戦争」を紡いだ有川浩先生の逸品です。 2019年2月にペンネームを改名され、「有川ひろ」とされています。(お恥ずかしい。たった今知りました) 多分作風的には男性よりも女性の方が読者層が多いのではないかと思います。 実はこのBlogを書くために少し調べて初めて知ったのですが、私はこの方をずっと男性の作家さんだと思っていました。 小説にこういう表現が当てはまるのかわかりませんが、この方の作品はタッチがすごく優しく、エッチなシーンをサラっと書いているかと思えば、人のココロの奥底をかなり深く掘り下げていたりするところから、今までずっと心優しい男性作家さんだと思っていました。 非常に申し訳ないことです。ハイ。 この方の作品はあまりたくさん読んだことはないのですが、今まで読んだ作品は、どれも作風が優しくて結構好きです。 この作品の巻末にある解説にも書かれていましたが、この方がデビューした頃から、作品とそのジャンルの価値観が変わってきたらしく、多様化して従来の分析がなり立たなくなったとのことです。 その小説や作家を囲むジャンルに価値があるのではなく、その小説や作家が純粋に面白いか否かを問われるようになってきたそうです。 いやそれが普通なのでは?と思うのは私自身も変わっているからなのでしょうか。 面白いと感じ、そして読んで面白ければ同じ方の作品を手に取ってみる。その繰り返しです。 私は子供の頃からジャンルや時代に拘って読んだ記憶があまりありません。SFも読みますし、時代も時代劇や現代を題材にした作品に絞らず、推理小説や刑事物、アクションも自分が面白そうと感じたものであれば、手に取って興味を持てば読んでいます。 それが面白いと感じるか否かは、「読み手の問題」です。読み手が面白くないと感じても、書かれた方の作品のどこかに悪いところがあるわけではなく、単に自分に合わなかっただけのことですし、同じ作家先生の他の作品が面白いと感じることも多々あります。しかし書き手や出版社からすると、「何故売れないのだ」と煩悶するのではないかと思います。だからと言って、読み手に迎合するような作品になっていくと、その方の作品は...とはいえ人は皆、霞を食べて生きているわけではないので、やはり本は売れた方が良いですし、読み手も書いていただかないと読む作品がなくなってしまう。 書かれた

司馬遼太郎 著 坂の上の雲(一)

 言わずと知れた司馬遼太郎先生の有名な作品ですが、実はこの年になって初めて読むのです。 この作品が記され始めてから半世紀以上経っていますし、2009年からテレビドラマにもなり話題にもなりましたが、これまで全く興味を持っていませんでした。しかも家族を連れて四国へ行った際、現地にある坂の上の雲ミュージアムに行ってたのです(笑)。子供達はなんとなく面白がっていましたが、当時の私には何の興味も感慨もなく、「ふぅ〜ん」的なイメージしかありません。 司馬遼太郎先生のファンから怒られそうですが、もともと司馬遼太郎先生の作品は数えるほどにしか読んでいません。それは今まで読んだ作品からして、「私には合わない」と思ったからなのです。 どんな作品でもそうですが、好き好きは人によって違います。これまで読んだことがないからと言って、怒られる筋合いはないと思いますし、逆に私が好きな作家先生の作品を他の人が読んでいなくとも特に何も思わないと思います。 この世には本を読まない、読めない方が大勢いらっしゃいます。そもそも字を読もうとしないのは若い方だけでなく、オッさんにも多い。 老眼だから字が見えないなどと言い訳をする方もいらっしゃいますが、要は読むだけの体力がないだけなんだと思います。 運動だけでなく、本を読むのにも体力は必要です。これは読む方にはわかるのですが、読まない方には理解できないらしく、ジッとしているのに体力がいるとは...???のようです。 同じく読むには理解力も必要ですので、本を読まないから頭が悪いのかというとそうではなく、字や文章という情報を目にしてそこから情景を思い浮かべることができるかできないかという問題です。 現代は映像で物事が表現しやすい環境だったり、生み出しやすい環境になっていますし、一般人でも撮影や現像だけでなく、編集もできるようになって久しくありません。 しかしそれらを生み出すために必要な情報の多くも映像だけでは伝えることが難しいので、当然のことながら字(ドキュメント)を読む必要があります。これができない方が多いのには困ったものです。 話がだいぶそれましたが、坂の上の雲(一)は淡々とした内容ですが、間違いなく面白いうと思います。思いますというのは何故か、まだ一巻しか読んでいませんので、一巻は面白いと感じたのですが、これが最後まで自分に合うのかは分からないのですよねぇ。

風野真知雄 著 計略の猫 新・大江戸定年組 1

 以前のシリーズから続刊が出ないと思っていたら、昨年7月に新シリーズとして出ていたのにたまたま気がつき、読んでみることに。 相変わらず軽い口調でサラサラと読める内容なのですが、出てくるのが皆定年組というものの、当時の定年組なので、現代に置き換えると年齢的にバリバリの現役なのです。 その辺りを考えると、なんだか考えてしまいます。 体になんらかの不調は抱えているものの、使いようによってはまだ若い方を凌ぐことができるし、指南もできる。 いや、枯れてきたからこそできることがあるような気がするのですが、当時も今も、社会は40代・50代を厄介者にしたいのでしょうねぇ。 まぁ、確かになんの役にも立たないオヤジさんや、居るとかえって邪魔に方も... 私自身、色々考えてしまう年になってしまったようです。

和久田正明 著 黒衣の牙 新八丁堀つむじ風 1

 八丁堀つむじ風の新しいシリーズがあったとは知りませんでした。 と言っても2015年に発行されたものですが、相変わらずサラサラっと軽く読み進めることのできる楽しい一作です。 ファンも多いようですが、単調な内容と思われ出したのか、この後このシリーズは出ていないようです。 この手の時代小説を読む方は、純粋に内容を楽しむ方と、時代小説を通しその世界に没頭し、現代社会に生きる自分を忘れるようなタイプい湧かれるのではないかと思います。 まぁ、私はというと、どちらも当てはまるような。 しかしどの作品もそうですが、産みの苦しみというものが必ずあります。 これはモノやコトを生み出す方全てにしか分からないのではないかと。 単に消費だけして自分では何も作り出すことのない方は、こう言った作品を簡単に批判し、全てをぶち壊していくのでしょうねぇ。

宇江佐真理 著 口入れ屋おふく 昨日みた夢

 髪結い伊三次捕物余話で有名な(だけではないのだが)、宇江佐真理先生の作品です。 以前より患っていた癌により、2915年にお亡くなりになられています。 文庫版の最後にある解説に記されていますが、この作品はシリーズ物として続いていく予定だったらしく、文庫化の際、2巻目に収録予定だった内容が、本巻の最後に収録されたとの事です。 確かに読んでいる間に、これは続きそうな感じだとは思っていたのですが、続きを綴られないまま急逝されたとの事で、絶対に面白いシリーズになると確信できる内容だっただけに、残念です。

風野真智雄 著 同心 亀無剣之介 恨み猫

私は観たことはないのですが、テレビドラマにもなり有名な「妻はくノ一」や、耳袋シリーズで有名な著者。 この方が書く時代小説は、時代小説は初めてと言う方でも非常に入り込みやすいと思います。 だからと言って内容が軽い作品ばかりではなく捻りもありますし、中には人の心の深さや重さも感じられる作品も数多く手掛けられているのは凄い方だなぁ、と私は思っています。 言葉は時代と共に変化するものであると私は思っています。 このため、現代に生きる人が日々触れているものとは違う言葉遣い、昔々に綴られた書籍などは、時折読む行為(心)が折れそうになるくらい読みづらかったりするのですが、この方が綴ると「チョっと乱暴」ではあるけれども、言葉や考え方が現代風に置き換えて描かれているので、非常に分かりやすく共感し易い。 そう言った目で見ると、実は池波正太郎先生の作品も比較的平易な言葉で記されているため、非常に読み易い作品に仕上がっているのですが、風野先生の作品はまたチョっと違う。 非常に軽く見えるし軽く読める。 本格的な時代小説ではないと言うような意味合いではなく、多分書かれているジャンルが「まったく違う」のでしょうねぇ。 しかしこの先また時代が進むにつれ、言葉が持つ意味が変わっていくと、現代の言葉が読みづらいと思うような時がくるのでしょうか...。 あぁ、いつもながらの駄文だなぁ。

佐伯泰英 著 光る海 新・酔いどれ小籐次 22

御槍拝借に始まるシリーズ二十二作目、若干の衰えを感じる中にも、筆者の心安らかな世を望む心が垣間見える逸品です。 秋には物語の終焉を迎えることが公表されたこの作品ですが、まだまだ続いて幸せな世の中を紡いで欲しいと願わざるを得ません。 生きていくために他人を蹴落とし、騙しのし上がる術を作品の芯にする上田秀人氏の作品も凄味があって面白いのですが、人として生きていくための優しさを問うような佐伯先生の作品は、ギスギスした今の世を生きる全ての人に読んで頂ければ何か変わるのではないかと思ってしまうのは、愚かな事なのでしょうかねぇ。

上田秀人 著 要訣 百万石の留守居役 17

 八年に渡って綴られた本シリーズも、コロナ禍の2021年6月に幕を閉じた。 シリーズを書き綴るために、金沢へ8度も取材に訪れられたと記されている。 その理由はやはり現地でなければ知り得ない郷土史家の資料を買い求めるだけでなく、その場の空気、人、匂いなどを感じ、作品に落とし込むためだという。 かなりの量の資料を調べ上げ、その上で策(作品)を創り上げるこの方の手法と能力は、一般人は知る由もなく、また驚愕するしかない。 しかし作品を読み進めていくと、何かが伝わってくるのではないかと思う。 そのようにして綴られる作品に出会える幸せは、読んだ者でなければ分からないでしょう。

上田秀人 著 乱麻 百万石の留守居役 16

 この方の作品はどれも面白い、しかし怖い、それは以前にも感じ記しましたが、上を目指す人々は、やはりこんなふうに狡賢いのかと思うと、時々人間をやめたくなってしまうことも... しかしまぁ...漫然と生きているよりも、何か目的を持つということは大切だと思いますし、それらを達成しようとすると多少の狡賢さは必要になったりもしますので、読んでいく中で色々得られることもあったりします。 現代においても、某国が国の覇権を広めるために何かしら軍隊を動かし、周囲を威嚇している状況を見ると、色々考えさせられてしまいます。 太平の世の中と思っているのは私のような愚かな平民ばかり、上を、他を求めようとする輩はいまだに戦乱の世を生きているのでしょうねぇ。 ナンだか嫌だなぁ。 さて、このシリーズも次が最後なのですが、すっかり買うのを忘れていて昨日ようやく書店で買い求めました。 心して読まねば。

浮穴みみ 著 おらんだ忍者 医師了潤 秘めおくべし

 たまたま手に取り、少し中を覗いてみたら面白そうだったので、初めて拝見するお名前でしたが迷わず購入。 北海道出身の作家先生ということも読んだ後で知るという。 1作品1作で終わらせるような勢いのある読み応えの物語の進み具合なのだが、読み進めると知らないうちに残ページが少なくなり次を読みたくなる。 こうやって読み続けたいと思える作家さんが増えるのは、非常に嬉しいんですよねぇ。 だから書店が通いはやめられない止まらない。

和田はつ子 著 お悦さん 大江戸女医なぞとき譚

この方の作品は面白いのだけれど、結末がかなりの確率でボヤかされるのですよねぇ。 私の読者なら想像できるでしょう?想像しなさいよ。 そう試されているようにも思えるのです。 まぁ、最近流行りの分かりやすい物語りとはまた違った面白さがあるのですが、その部分だけはどうしても気になって仕方がないのです。 しかしこの方の作品を手に取ってしまうのは何故なのでしょうねぇ...。

Raspberry PiにOneDriveを簡単に導入する

 Raspberry PiでOneDriveを利用する方法がツワモノな方々によって色々公開されているのですが、なんかユーザーフレンドリーじゃないよなぁ、と思って色々調べてみたら、ラズパイダさん( Link )でPi-Appsなるものが紹介されていました。 Pi-Appsはアプリやツールを比較的簡単にRaspberry Piへインストールすることができるようになるアプリケーションなのですが、この中にクラウド上のドライブと連携を行うことができるツールがあったので、これを利用してOneDriveをRaspberry Piで利用できるようにしてみました。 まず、以下のコマンドを叩きます。 wget -qO- https://raw.githubusercontent.com/Botspot/pi-apps/master/install | bash すると、Raspberry Pi上にPi-Appsがインストールされ、メニューのアクセサリにPi-Appsが表示されるようになります。 このPi-Appsを起動してみると、ツールの種類別に項目が表示されます。 登録されているツールやアプリケーションの数は多くはないとのことですが、結構メジャーなものがあるとのことで、期待して入れてみました。 というか、単にモノグサなだけでコマンドをチマチマ叩くのもいいけど、コマンドばかりだと楽しくない。 プログラミングする時は、ある意味コマンドみたいに文字ばかり叩くのに、こちらは楽しいのは何故だか不思議です。 いや、コマンドが嫌いなワケではないのですが、単に面倒くさがりなだけです。 Pi-Appsを起動すると、下のようなメニュー画面が表示されます。 最初は色々触ってみたのですが、Editorsの中にVisual Studio Codeもありました。 そのほか、GIMPやInkscape、Sublime Textなどもあって、やはりメジャーどころが登録されているようでした。 Visual Studio Codeは先日コマンドを叩いて入れたので、「まぁいいか」とスルーしたのですが、このツールの良いところは、InstallだけでなくUnInstallもボタンのクリックで行えるようになっているのです。 これはGUI好きなワタシ好みな... それはおいといて、メニュー画面の左下にある虫眼鏡アイコンのボタンを

Raspberry Pi 64bit版の正式版が出ましたので

 2022年1月28日に、Raspberry Pi(通称ラズパイ)の64bit版が正式にリリースされたとのことで、早速インストール&セットアップしてみました。 この作業の中で、これまでここに記載してきた内容に齟齬があることが分かりましたので、過去のBlog記事(デフォルトUserの変更方法など)を修正しました。 まぁ、もともと物臭なモノですから、一度やったらなかなか見直しをしないのですが、あまりにも適当だと後で自分が思い返して見て思い返した時に同じことができないということになってしまいましたので(笑)。 やはり最初にインストールした32bit版と比べると、かなり動きは良くて、普通にradikoなんかもアクセスできますし、チョコチョコとイジるのには面白い存在です。 macをパワフルなM1max環境にしてから、macの起動時にradikoなどをラズパイで別に起動する必要もなくなりました。 在宅勤務中に社用PCで変なことをするわけにもいかないたので、一人で黙々と仕事していると寂しい時の音楽やラジオを聴くこともあるのですが、ほとんどiPhoneとヘッドセットで済んでしまいます。 macって冬は冷たくて起動したくないんですよねぇ。 VSCodeでコーディングしたりMarkdownで色々書きたい時、ラズパイがあると重宝します。

池波正太郎 著 スパイ武士道

 言わずと知れた、池波正太郎先生の逸品です。 作家としての池波正太郎を知らずとも、必殺仕事人シリーズは現在でも放送されているので、ご存知な方も多いのではないだろうか。 これら必殺シリーズも、本を正せば池波正太郎"師"が記された必殺仕掛人・藤枝梅安シリーズを源流としたTVが独自に亜流で生み出した作品です。 古く江戸幕府が始まってから百年後の内容と記されているが、人の...いや人が清廉から慢心して陥る闇の心、そしてそれを操る政の世界を作中で見事に表現しています。 この作品は、今の時代を生きるサラリーマンにも通じる部分があるのではないかと。 読んだ者にしか分からないと思いますが、これだけドロドロした内容にも関わらず、最後は爽やかな風が吹き抜けたような気分を味わうのは非常に不思議でなりませんねぇ。

和久田正明 著 夫婦十手

 作者を見ずに読み進めると、誰か別の方が書いたかのような内容と思えるくらい、固く、しかし面白い一作です。 確かにそう言われればそうかも、と作者を意識しながら読むとそうなのですが、一人の作者が書く作品で、切り口がこんなに違うものかと驚かされます。 八丁堀つむじ風シリーズ、はぐれ十左御用シリーズ、髪結いの亭主などと比較すると、全く毛色が違うと思うのは、私だけなのかなぁ。

佐々木裕一 著 若君の覚悟 公家武者 信平(八)

 帝をたてると称して倒幕を企む者達が次々と策略を巡らし、そこに主人公らが巻き込まれていくという流れ。 と言うか、いつの世も頭でっかちな御山の大将達って、どうして自身は動かず益だけを得ようとするんでしょうねぇ。 そういう意味では、自身も戦地に赴き陣頭指揮を執る悪役の方が悪いことをしているとはいえマトモに見えるのだから、世の中は歪んでいるのかも知れませんねぇ。

佐々木裕一 著 帝の刀匠 公家武者 信平(七)

 サラサラと流れるような清流のような筆遣いの中に、エンターテイメント性とラノベ感いっぱいのシリーズ第七巻。 シーズン1では主人公とのちに嫁入りする姫との恋物語が中心でしたが、今シーズンは二人の間に生まれ育った若者を中心に話が進むのかと思いきや、まだまだ親となった主人公を物語の中心に進む気配を見せているところがなかなか奥深い。 心を軽くして読むことができるこのシリーズは、イケメン好きな若い方にも受け入れられやすいのではないかと。 しばらくの間、平日はアマプラで見つけた面白い海外ドラマと、鈍器になり得るTEC系の手引き書にどっぷり浸かることになりそうなので、小説に向かう歩みは少し遅くなりそう。 いずれにせよ、ドラマはともかく解説やソースコードという文字に取り憑かれながら、日々を過ごすことになりそうな気がしています。

佐々木裕一 著 赤い刀身 公家武者 信平(六)

 非常に分かりやすく、そしてエンタメっぽくラノベチックな時代小説を、数多く手掛けられるイメージの作家さんです。 読んだ後にふんわりとした微風のような味のあるこのシリーズも、2シーズン目の山場に差しかかり、ますます面白くなってきています。 というか、過去の作品を後追いで読んでいるので、すでに十一巻まで出ており、書き下ろしの特別編まで出ているようです。 最近は、小説を文字としての作品を読まず、お忙しい方はオーディオブックで済ます方も多いようですし、そもそも文字としての原作を知らずに漫画で出版されているものを手に取る方もいらっしゃるとのこと。 それはそれで否定はしませんが、自分の五感を投じてその作品を文字から読み取り、そして想像し、その作品に入り込むことで日々の暮らしから離れるということを楽しみとしている者からすると、何か寂しいような。 しかしまぁ、楽しみ方は人それぞれですし、識字率が上がったとはいえ、今も難読の方が数多くいらっしゃることからすると、多少は仕方ないことなんでしょうねぇ。

和久田正明 著 月夜の鴉 死なない男・同心野火陣内

この方は、TV時代劇の脚本を数多く手がけ、現在は時代小説の執筆に専念している。 だからなのか、内容が昔のTVっぽくて軽くサラリと読めるのは。 例えるとハングマンやTVの方の必殺シリーズあたりのイメージですね。 あとにネチっとしたモノが何も残らない、昭和のイケイケな感じが好きですねぇ。 あぁ、別に昭和が好きな訳ではありません。 過ぎ去りし日は楽しかった思い出だけでよくて、いつまでも浸っているべきではないと思っています。 日々未来に向かって勉強しなければ(実はなかなかできてない...

室の梅 おろく医者覚え帖

 本書は、1998年8月に刊行された検死と探索を題材にした作品である。 2001年9月には単行本が出版され、2007年には16刷が発行されたところから見ると、かなり売れた作品ではないかと思われる。 そりゃそうだ、宇江佐真理センセの作品ですから。 新井白石や平賀源内が生きていた当時(江戸時代)の記録に、検死のために医者が同行したと記されているような記録はないとのことだが、もしかするとこの作品のように、医者が同行したこともあったのではないか、そうあってもおかしくはないと思うくらい、当時の役人による検死記録は詳細に残っていたりするらしい。 そんなことはイイとして、この作品は面白く書かれている中に、人の生から死までを通し、かなり考えさせられると思わされる記述が多い。 単なる小説じゃん、といえばそれまでだが、人が生まれるまで、そして死を通じて、色々思わない方がおかしいのではないかと思う。 当時とは違い、今はかなり医療が発達してはいるが、その医療を受けられない人が数多くいる日本の現状に、なんとなく当時の暮らしと今の日本になんら違いはないのではないかと思わされてしまう。

macのFinderで隠しファイルや隠しフォルダを表示する

 コンピューターの世界には、一般のユーザーには見えない方が良いファイルやフォルダがあったりします。 これは、ユーザーが触ることによって思わぬトラブルが起きることを防ぐためでもあります。 Windowsでもmacでもこれは同じで、デフォルトでファイルの拡張子さえ表示しなくなって久しいですね。 しかし普通にドキュメントを書いたりアプリケーションを使う分には、全く問題ないこの仕様も、細かいところに手を入れたい場合や、「これって実際どうなってんだっけ?」と設定を確認したい場合、それに普通のユーザーには見せたくはないけどトラブルを解決するためには表示してみた方が良い場合には、これら「隠しファイル」なるものを一時的に表示させることがあります。 Windowsの場合はGUIで設定できたりすることが多いのですが、macの場合、コマンドを叩くことになります。(というか覚えればこの方が簡単) 隠しファイル/フォルダを表示させる(defaultsコマンドを実行する) まず、ターミナルを起動します。 そしてコマンド画面でプロンプト($)が表示された状態で、以下のコマンドを入力して実行します。 $ defaults write com.apple.finder AppleShowAllFiles TRUE ファインダーに設定を反映させる 上記のコマンドを実行したら、今度はこれをmacの画面に反映させるために、以下のコマンドを実行してFinderのプロセスを一旦終了させます。 $ killall Finder 隠しファイルを必要とする作業を終了したら、今度は再度隠しファイルを表示されないように、以下のコマンドを実施して設定を戻します。  隠しファイル/フォルダを非表示にする(defaultsコマンドを実行する) $ defaults write com.apple.finder AppleShowAllFiles FALSE  ファインダーに設定を反映させる $ killall Finder 私自身、普段自分が使用しているmacたちを細かくイジることはないし、トラブルは避けたいので、使いません。ということで忘れっぽい自分自身のメモがわり(笑)。 

稲葉稔 著 親子の絆 研ぎ師人情始末(十)

 熊本出身の、なかなか面白い作品を生み出される稲葉先生の安定したシリーズ物、第十弾。 このシリーズの中で、近所に越してきた綺麗な女性と知り合い、そして夫婦になって幸せな暮らすってなかなか素敵じゃないですか、そしていつものように、従兄弟に頼まれて市中で起きた探索を手伝うという流れです。 本当に、こういうサラリと楽しく読める作品は良きかな。

佐藤雅美 著 男嫌いの姉と妹 町医北村宗哲

 2006年に単行本が刊行され、本書はそのシリーズ第4弾であり完結編となる。 ヤクザな内容でありながら、町医と記されていることから当時の医療に関する事情について調べ上げ、それがまたも惜しげもなく盛り込まれている。 江戸時代から幕末にかけて、海外の優れた医療技術である蘭方が流れ込んできたことは、小中学校で習う歴史でも習うが、内科に関しては、漢方の方がこれまで蓄積されてきた見立てや治療実績の高さから優れていたのではないかとも記されている。 後年、技術が進み、いわゆる蘭方に追い抜かれることにはなるが、現代医療の中でも身体への負担が少ないことなどから、実績のある漢方が見直され用いられることも増えている。 まぁ、本書を通じてそんなことがスッと頭の片隅に入り込んでくる。 この先生の作品はどれも、そのように知らず知らずのうちに作者が調べ上げた知識が惜しげもなく作中に盛り込まれ、それが読者に抵抗なく入り込む凄さがある。 まだ読んでいない作品がいくつもあるが、先生は既にお亡くなりになられているため、残りも大切に読んでいきたい。 年を跨いで、また良作をひとつ読み終えてしまうのは、嬉しいやら寂しいやら。