夏目漱石内坪井旧居洋館部分 |
夏目漱石が熊本で暮らした6軒の御宅のうちのひとつ、内坪井旧居です。
漱石は松山を後にして熊本にいらっしゃったそうですが、熊本でも6度転居していらっしゃいます。現在は、そのうちの3軒が残っているようです。そのうち1軒はまだ実際に人が住んでいらっしゃるため侵入するワケにもいかず(笑)、実物を中まで覗く事ができるのは、この内坪井旧居を含め2軒のようです。(地元なのに知らなかった…)
内坪井旧居入り口正面 |
休館日は毎週月曜日(月曜が祝祭日の場合は翌日が休館日)、年末年始の休館日は12/29から翌1/3という、ナンかいつ休んでんネンってくらいいつでも開いている場所だったのです。ナゼ今まで行かなかったヲレ…
坪井周辺は新しい御宅もある中に、昔ながらの御宅が結構残っており、熊本の街の作りが嫌いな私ですが、実はこの坪井周辺は結構好きだったりします。
門をくぐると正面玄関が右手にあります |
私も学生の頃は、この近所にある古本屋に何度か通っていたのですが、当時はここに漱石が住んだ御宅があるだなんて、知りもしませんでした。(笑)まあ、何故知らなかったか…当時は漱石に全く興味がなかったからなんですけどね(笑)
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広い屋敷で廊下も長かった |
ここをGoogleMapの車が通ったのかと思うと、チョット驚きです。
中へ入ると、玄関付近の間取りは、小泉八雲邸とよく似た印象を受けました。
まあ、日本の当時の建築は(今でもそうですが)どこも似たようなモノだったのですかねえ…
しかし、イザ中に入ってみると、八雲邸とは比べ物にならないくらい広い屋敷で、"これでもかっ!"って感じで、部屋があります。
八雲邸は八雲邸で狭い御宅ではないし、実際私も住みたいって思ったくらいイイカンジの御宅ですけど、ここは部屋数で言うと多分倍くらい?とまあ、ちゃんと調べてこないのが私です(笑)
廊下の造り(床板)も八雲邸と同じような感じでしたが、ここは昭和52年まで実際に人が住んでいたにも関わらず、床板の状態は八雲邸の方が手入れが行き届いていて綺麗でした。
彼岸過迄(複製のようです) |
中には色んな展示物があり、複製とはいえ漱石の筆跡が分かるモノや当時の書籍もあり、いやまあ凄かったとしか…
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吾輩は猫である |
漱石の後には軍人さんも住んでいたらしく、これだけ広い屋敷だったら高い職位の方だろうけど、住んでいた方の名前はまだ分かっていないと言う事でした。
その後、昭和52年に熊本市へ寄付されるまで、当時の富士銀行(現在のみずほ銀行)の支店長クラスの社宅だったらしいです。
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