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macの外付けキーボードJIS配列の再設定

 macでApple純正以外の外付けキーボードを使用すると、かなりの確率でキー配列の認識がおかしくなる。これは特にOSのバージョンアップが行われた後に多いと思います。 JISキーボードを使用しているが、知らないうちにUS配列で認識されるようになり、記号を認識するキーが変わってしまうため、急いでいる時に気がつくとかなり苛立ちます。 気がついた時に都度見直すのですが、その方法をすぐに忘れてしまうので、自分の覚書としてここへ残しておきます(笑) ちなみ対象機器とOSはM1macPro/Monterey(12.2.1)時点のもの システム環境設定を表示する こので、[キーボード]を選択する。 キーボードの設定画面左下の[キーボードの種類を変更]を選択する。 キーボード設定アシスタントが表示されるので、ここで画面右下の[続ける]ボタンを押下する。 左右shiftキーの隣にあるキーを判別させてくるので、これに従ってキーを押下するだけで完了する。 当たり前のことだが、キーボードにドライバーソフトなどがついている場合、そちらの設定は正常にできていることを前提としています。 特にLogicool製品は、LogiOptionやLogiOption+がついていけていない場合があるので、そちらの見直しも気にしておく必要があります。 macはこれで解決できることが多いが、iPhone/iPadに外付けキーボードを付けて使用する場合は、OS側に設定項目がなく、Logicoolであればメーカー側の対応を待つしかないと思います。 JIS配列キーボードを付けっていく上で、このあたりはやはり国内メーカーの製品の方が良いのですが、キータッチが好みではないので...

風野真知雄 著 卜伝飄々

 言わずと知れた塚原卜伝を記した作品です。 何かしらの武道をかじった人でなくとも、卜伝という名前をご存知な方もいらっしゃると思いますが、私も興味はあっても風野真知雄作品ではなく、卜伝の単なる伝記ということであれば、手を取らなかったのではないかと思います。 どこまでが実際に言い伝えられていた内容なのかはわかりませんがこの方が書かれると、単なる面白い作品ではなく、その中に重みを感じさせない重みがあるというところが予想されるのです。 卜伝の言い伝えの中に、無手勝流というものがありますが、これは武道に限ったことではなく、普通に生きていく上でも役に立つ心構えを解いているのではないかと思います。 特に取引先や上司の「無知で無茶な圧」を感じながら生きているサラリーマンには... この作品を読む前から、その辺に気がついている方は見た目はサラリと生きながら、出世していくのでしょうねぇ。 でも、この作品を読むと、そうではなく飄々と自分の道を求めて生きていく姿が見え、そこに自分を重ねてみたくなります。まぁ、無理でしょうけどねぇ。 そんな逸品です。

有川 浩 著 植物図鑑

 映画化もされた、あの「図書館戦争」を紡いだ有川浩先生の逸品です。 2019年2月にペンネームを改名され、「有川ひろ」とされています。(お恥ずかしい。たった今知りました) 多分作風的には男性よりも女性の方が読者層が多いのではないかと思います。 実はこのBlogを書くために少し調べて初めて知ったのですが、私はこの方をずっと男性の作家さんだと思っていました。 小説にこういう表現が当てはまるのかわかりませんが、この方の作品はタッチがすごく優しく、エッチなシーンをサラっと書いているかと思えば、人のココロの奥底をかなり深く掘り下げていたりするところから、今までずっと心優しい男性作家さんだと思っていました。 非常に申し訳ないことです。ハイ。 この方の作品はあまりたくさん読んだことはないのですが、今まで読んだ作品は、どれも作風が優しくて結構好きです。 この作品の巻末にある解説にも書かれていましたが、この方がデビューした頃から、作品とそのジャンルの価値観が変わってきたらしく、多様化して従来の分析がなり立たなくなったとのことです。 その小説や作家を囲むジャンルに価値があるのではなく、その小説や作家が純粋に面白いか否かを問われるようになってきたそうです。 いやそれが普通なのでは?と思うのは私自身も変わっているからなのでしょうか。 面白いと感じ、そして読んで面白ければ同じ方の作品を手に取ってみる。その繰り返しです。 私は子供の頃からジャンルや時代に拘って読んだ記憶があまりありません。SFも読みますし、時代も時代劇や現代を題材にした作品に絞らず、推理小説や刑事物、アクションも自分が面白そうと感じたものであれば、手に取って興味を持てば読んでいます。 それが面白いと感じるか否かは、「読み手の問題」です。読み手が面白くないと感じても、書かれた方の作品のどこかに悪いところがあるわけではなく、単に自分に合わなかっただけのことですし、同じ作家先生の他の作品が面白いと感じることも多々あります。しかし書き手や出版社からすると、「何故売れないのだ」と煩悶するのではないかと思います。だからと言って、読み手に迎合するような作品になっていくと、その方の作品は...とはいえ人は皆、霞を食べて生きているわけではないので、やはり本は売れた方が良いですし、読み手も書いていただかないと読む作品がなくなってしまう。 ...

司馬遼太郎 著 坂の上の雲(一)

 言わずと知れた司馬遼太郎先生の有名な作品ですが、実はこの年になって初めて読むのです。 この作品が記され始めてから半世紀以上経っていますし、2009年からテレビドラマにもなり話題にもなりましたが、これまで全く興味を持っていませんでした。しかも家族を連れて四国へ行った際、現地にある坂の上の雲ミュージアムに行ってたのです(笑)。子供達はなんとなく面白がっていましたが、当時の私には何の興味も感慨もなく、「ふぅ〜ん」的なイメージしかありません。 司馬遼太郎先生のファンから怒られそうですが、もともと司馬遼太郎先生の作品は数えるほどにしか読んでいません。それは今まで読んだ作品からして、「私には合わない」と思ったからなのです。 どんな作品でもそうですが、好き好きは人によって違います。これまで読んだことがないからと言って、怒られる筋合いはないと思いますし、逆に私が好きな作家先生の作品を他の人が読んでいなくとも特に何も思わないと思います。 この世には本を読まない、読めない方が大勢いらっしゃいます。そもそも字を読もうとしないのは若い方だけでなく、オッさんにも多い。 老眼だから字が見えないなどと言い訳をする方もいらっしゃいますが、要は読むだけの体力がないだけなんだと思います。 運動だけでなく、本を読むのにも体力は必要です。これは読む方にはわかるのですが、読まない方には理解できないらしく、ジッとしているのに体力がいるとは...???のようです。 同じく読むには理解力も必要ですので、本を読まないから頭が悪いのかというとそうではなく、字や文章という情報を目にしてそこから情景を思い浮かべることができるかできないかという問題です。 現代は映像で物事が表現しやすい環境だったり、生み出しやすい環境になっていますし、一般人でも撮影や現像だけでなく、編集もできるようになって久しくありません。 しかしそれらを生み出すために必要な情報の多くも映像だけでは伝えることが難しいので、当然のことながら字(ドキュメント)を読む必要があります。これができない方が多いのには困ったものです。 話がだいぶそれましたが、坂の上の雲(一)は淡々とした内容ですが、間違いなく面白いうと思います。思いますというのは何故か、まだ一巻しか読んでいませんので、一巻は面白いと感じたのですが、これが最後まで自分に合うのかは分からないのです...

風野真知雄 著 計略の猫 新・大江戸定年組 1

 以前のシリーズから続刊が出ないと思っていたら、昨年7月に新シリーズとして出ていたのにたまたま気がつき、読んでみることに。 相変わらず軽い口調でサラサラと読める内容なのですが、出てくるのが皆定年組というものの、当時の定年組なので、現代に置き換えると年齢的にバリバリの現役なのです。 その辺りを考えると、なんだか考えてしまいます。 体になんらかの不調は抱えているものの、使いようによってはまだ若い方を凌ぐことができるし、指南もできる。 いや、枯れてきたからこそできることがあるような気がするのですが、当時も今も、社会は40代・50代を厄介者にしたいのでしょうねぇ。 まぁ、確かになんの役にも立たないオヤジさんや、居るとかえって邪魔に方も... 私自身、色々考えてしまう年になってしまったようです。

和久田正明 著 黒衣の牙 新八丁堀つむじ風 1

 八丁堀つむじ風の新しいシリーズがあったとは知りませんでした。 と言っても2015年に発行されたものですが、相変わらずサラサラっと軽く読み進めることのできる楽しい一作です。 ファンも多いようですが、単調な内容と思われ出したのか、この後このシリーズは出ていないようです。 この手の時代小説を読む方は、純粋に内容を楽しむ方と、時代小説を通しその世界に没頭し、現代社会に生きる自分を忘れるようなタイプい湧かれるのではないかと思います。 まぁ、私はというと、どちらも当てはまるような。 しかしどの作品もそうですが、産みの苦しみというものが必ずあります。 これはモノやコトを生み出す方全てにしか分からないのではないかと。 単に消費だけして自分では何も作り出すことのない方は、こう言った作品を簡単に批判し、全てをぶち壊していくのでしょうねぇ。

宇江佐真理 著 口入れ屋おふく 昨日みた夢

 髪結い伊三次捕物余話で有名な(だけではないのだが)、宇江佐真理先生の作品です。 以前より患っていた癌により、2915年にお亡くなりになられています。 文庫版の最後にある解説に記されていますが、この作品はシリーズ物として続いていく予定だったらしく、文庫化の際、2巻目に収録予定だった内容が、本巻の最後に収録されたとの事です。 確かに読んでいる間に、これは続きそうな感じだとは思っていたのですが、続きを綴られないまま急逝されたとの事で、絶対に面白いシリーズになると確信できる内容だっただけに、残念です。