惜しいことに、既に作者である宇江佐真理先生はお亡くなりになってしまわれています。
この先生の作中には松前を舞台にしたものや、松前の風景や事柄がどこかに描かれる事がチョイチョイある。そりゃそうです。北海道に生まれ育ち、北海道の自宅リビングで書き綴ったものが我々の目に触れる書籍として出版されているらしいですからねぇ。
松前藩が梁川に移封となり、江戸で浪人暮らししながら子供ができ泣き笑いしつつ15年後に帰封されるまでの生活、そして人々の心を描いた逸品です。
現代社会では、転勤と言う言葉で国内のみならず世界各国を飛び回る優秀な方が沢山いらっしゃいます。
まぁ、私もその転勤という言葉によって、九州の片田舎から東京に単身赴任で出てくることになり、子供がこちらの大学を希望したことを機に、一家で移住することになったのですから。優秀かどうかは疑わしいところですが、境遇は同じようなもんです。
まぁ、私もその転勤という言葉によって、九州の片田舎から東京に単身赴任で出てくることになり、子供がこちらの大学を希望したことを機に、一家で移住することになったのですから。優秀かどうかは疑わしいところですが、境遇は同じようなもんです。
そんな転勤などにより各地に移り住んだ方のうち、幾人かは職を退いた後、望郷の念に駆られるのか生まれ育った故郷に帰って過ごされる、または過ごしたいと仰られたり実現されたりと…
そうですよねぇ、懐かしいと言う気持ちは分からないでもないです。
しかし、経済的には比較的恵まれていたとはいえ、産まれは東京、その後も親の都合や職場の都合、そして自分の都合であちこち移り住んで生てきた自分からすると、望郷ってナニ?って頭を捻ってしまう事が少々どころじゃないような…
しかし、経済的には比較的恵まれていたとはいえ、産まれは東京、その後も親の都合や職場の都合、そして自分の都合であちこち移り住んで生てきた自分からすると、望郷ってナニ?って頭を捻ってしまう事が少々どころじゃないような…
懐かしいと思える気持ちは羨ましいとは思いますけどねぇ。
時には田舎に帰りたいという気持ちは沸きますが、それは単なる一時的な帰郷(里帰り)であって、またそこに戻って住もうとは思わないんですよねぇ。
薄情と言われればそうかも知れないけれど、何処に行っても住めば都、そこに暮らす間はその地に根ざして生きていくのも人の生きる道の一つではないかと。
子供の頃から一つのところに暮らし、成人するまで大きな引越しをしたことがない方々には分からないでしょうねえ。
それにネットや宅配が発達したとはいえ、やはり田舎は住みづらいです。
特に文化的な面で、様々なホンモノを間近に「見たり触れたりする機会が多い」、そしてそんな場所へ電車に乗ってすぐに行くことができる場所って、やはり都会やその周辺なんですよね。
私は本が好きでよく買って読んでいますが、これもネットで買えば済むことだとは思います。しかし、その本に出会うには書店に出向き、そこで作品と出会うということが私には必要だと思っています。
それはネットだけでは「まだ」なかなかワクワクするような感じで体験することができないのです。
今はYouTubeや定額配信の映像サービスが増え、人々はそちらにシフトしていますが、その元となる文化はやはり文字やモノではないかと思います。
特に文化的な面で、様々なホンモノを間近に「見たり触れたりする機会が多い」、そしてそんな場所へ電車に乗ってすぐに行くことができる場所って、やはり都会やその周辺なんですよね。
私は本が好きでよく買って読んでいますが、これもネットで買えば済むことだとは思います。しかし、その本に出会うには書店に出向き、そこで作品と出会うということが私には必要だと思っています。
それはネットだけでは「まだ」なかなかワクワクするような感じで体験することができないのです。
今はYouTubeや定額配信の映像サービスが増え、人々はそちらにシフトしていますが、その元となる文化はやはり文字やモノではないかと思います。
これがなければ映像も生まれてくることは難しいのではないかと思います。
人は安易な方向に流れたがるので、これからも映像やもっと手近に体験ができる「モノやコト」にシフトし続けると思いますが、そのベースとなる文化的な「文字やモノ」を忘れないで欲しいモノです。