面白そうなタイトルの雑誌?が子供の部屋に積み重なっていたので、借りてきて読み進めている。 その中に書かれている内容といえば、現代の法曹界に生きる方々が日々考えていると思われる研究内容なのだが、中には日本を代表する大学の出身者だったり、大学で教鞭をとっておられる方、さらに実際にその世界に身を置いて生きている方々が記されているものだった。 積まれている中で目に入った時、何かの書籍だろうと思っていたので、今後の参考になればと読み始めたのだが、全てではないにしろ、中には「まだこんなレベルのことしか理解できていないのか」と思われる内容のものが記されており、いわゆる「情弱」とはここまでダメなのか、と思わずにはいられなかった。 たしかに現代のテクノロジーの進歩は目覚ましく、そして思いもしない飛躍や流行が起きてはいるのだが、テクノロジーはさまざまな境界線が曖昧になっているうえに、その認識を改め法を変えていかなければ、そして何より自分達が生きている日本の法曹界は考え方や学びを変えていかなければ駄目だということに、全く気がついていない。 AIがどんな職業に影響を与えるのか、ということが話題になった時、弁護士という職業が挙がっていたのを見かけ、そんなことあるのか?彼らの多くは若い時から努力に努力を重ね、今の資格と職業を手に入れた文系の中では頂点に近いところにいるのでは?と思っていた。 しかし、今回のこの書を読み進めていく中で、彼らの(一部の方だろうが)思考は、全てローテク時代のまま止まってしまっており、自分達が整理し、考え、裁き、救い、さらに「今の世の中」を学び、人々の生活を支えていかなければならないという視点が抜けてしまい、型枠の中にあてはめて処理しているだけではないか、いやもしかするとそういう人は一部なのかもしれないが、それがどれくらい愚かなのかに全く気がついていない。 以前、Microsoft CEOであるサティア・ナデラ氏の著「Hit Refresh」を読んだ時、彼らのものの捉え方は、テクノロジーだけにとらわれず、世界的企業の視点は悩みも大きいが、人々の生活だけでなく、法の視点からもかなり進んでいると感じた。 彼らにも、現在、いや過去に、世界中のさまざまなテクノロジーが絡んで起きている犯罪や出来事を、もう少しよく勉強して欲しいとさえ思ったほどだ。 東京の片隅で、終わりか...
時々思ったことをツラツラと綴ってたりしてます…